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2016年05月02日18:32

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5/1 没後40年 高島野十郎展 光と闇、魂の軌跡@目黒区美術館

高島野十郎を知ったのはちょうど10年前、偶然目に止まり三鷹市民ギャラリーの展覧会を観に行ったのが初めだった。晩年、売るためでなくお世話になった人のお礼のためにだけに描き続けた小さな絵「蝋燭」の連作がとても印象的な孤高の画家である。その時の日記がこちら
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=152268540&owner_id=2083345

この度大回顧展があるというので楽しみにしていた。面白いことに、10年前彼の風景画には好印象でなかったし、日記では初期の作品についても触れていない。10年経つと自分自身の心情、好みも変わるものだ、今回は全く違う感想を持った。そのことについては後で詳しく書こう。

フォト フォト

https://mmat.jp/exhibition/archives/ex160409

http://www.tnc.co.jp/takashimayajuro40/

高島野十郎(1890-1975)は「孤高の画家」あるいは「蠟燭の画家」として知られる洋画家です。生前にはほとんどその存在が知られることはありませんでしたが、没後の展覧会をきっかけに、近年ますます評価が高まっています。卓越した技量に裏付けられた、息詰まるような緊張感さえ感じさせるその作品のみならず、自己の信念に誠実であろうとした画家としての生き方にもまた多くの人々が魅了され続けています。

明治23(1890)年、福岡県久留米市に酒造家に生まれた野十郎は、東京帝国大学農学部水産学科を首席で卒業しながらも、周囲の期待に反して、念願であった画家への道を選び、敢然と歩みだしました。「世の画壇と全く無縁になることが小生の研究と精進です」とする野十郎は、独学で絵を学び、美術団体にも所属せず、家庭を持つことさえ望まず、流行や時代の趨勢におもねることなく、自らの理想とする絵画をひたすら追求する超俗的な生活を送りました。

野十郎の絵画は、一貫して写実に貫かれています。しかしながら、彼の写実は単なる再現的描写にとどまらず、その表現や対象の捉え方に独特の個性が光り、それゆえ画面は生き生きとした生命感に満ちあふれています。
没後40年を記念する本展では、「からすうり」や「菜の花」をはじめとする静物画や風景画などの代表作や、野十郎の独自性が発揮された「蠟燭」や「月」シリーズ、さらには初公開作品をも含む約150点を、最新の研究成果とともにご紹介します。人々の心と目を引き付けてやまない高島野十郎の深遠なる絵画世界の新たな全貌、そして魂の軌跡をどうぞご堪能ください。

構成は以下の通り
第1章 初期作品 理想にもえて
第2章 滞欧期 心軽やかな異国体験
第3章 風景 旅する画家
第4章 静物 小さな宇宙
第5章 光と闇 太陽 月 蝋燭


第5章は「太陽と月」の部屋、「蝋燭」の部屋に別れている。
また最後の展示室(1F ミュージアムショップ横)には「野十郎の世界 展覧会を一望する部屋」が設けられていて、各章から2〜5点ずつ代表作をピックアップして展示してあり、本展のダイジェスト版を見られるようになっている。面白い試みだけれどこれはどうかな。生涯に驚くほど画風が変わるのだったらダイジェスト版を作ってそれを時代別に比較するのは面白いだろうけれど、この場合は必要なし、それぞれの章に展示してもらった方が良かったように思う。既存の展示室の関係からかしら。

展示は中学生時代に描いた「蓮華」から始まる。野十郎が仏道に帰依することは野十郎の絵を読み解く上で重要、前回はそのことに気付いていなかった。

4点の自画像があった。
 《絡子をつけたる自画像》30歳フォト

《りんごを手にした自画像》33歳フォト

《傷を負った自画像》24歳〜26歳(画像なし)がもっとも衝撃的で、首と脛から血を流している、眼はうつろに上目遣いで前を睨んでいる、口は歪んで半開き。自殺を図ったの?と気になったが、解説を読むとそうでもない模様。どういう意図で描いたのだろう。
↑下段も袈裟を来て、りんごもつ右手と印を結ぶような左手に謎多し。
会場にあった壮年期の写真をみると割と穏やかなオジさんというイメージだが、絵は激しい。若き画家たちの自画像は得てして鋭い眼差しのものが多いのだけれど、ちょっと特殊。

ちなみに、前日記に記したように、野十郎は帝大を首席で卒業したにもかかわらず画家を志し、独学で勉強、何処の会派にも属さず、生涯独身。最後は特養に入ったがそれも激しく抵抗したらしい。自分は野垂れ死(!)にしたかったらしい。

《椿》フォト

《けし》フォト
うねる茎、粘り着くような花弁、独特の描き方にちょっと薄気味悪さも感じないこともないが眼をそらさせない強い魅力がある。

《百合とヴァイオリン》フォト
百合の白が清楚・・・と言うだけではない、何か「ある」作品。

なるほど、野十郎は岸田劉生やゴッホに影響を受けたとのこと。粘着性のこだわりがある。それは何なのか。

《パリ・ベニス通り》(画像なし)
アメリカ、ヨーロッパ滞在中の絵はもう少し早い筆致で軽やか。パリの石畳、犬の後ろ姿がかわいい絵

《早春》フォト
小さな作品だが、小川、畑、田舎道、ぽっかり浮かんだ雲、やさしく長閑な情景に愛しているんだと優しさを感じる。(実物はもっと良い)

《春の海》
有明海干潟を描いた作品。遠くかすむは雲仙。どちらも今では姿を変えてしまった風景だ。

《積る》フォト
山形の風景。しんしんと降る雪が丁寧に描き込まれている。

隅々まで細かく描き込むのは、全てのものに等しく対した故なのだと今回は気付く。

《秋の花々》フォト
そして、その執拗にまで描き込むさまは、先日観た若冲と同じなのではないかと思った。若冲も野十郎も「絵を描くこと=出家」であって、生きとし生けるものにあまねく深い慈悲を注ぐように、丁寧に描き込んでいるのだ。若冲が「鳥獣花木図屏風」に楽園を描いたように、野十郎も秋の花々の楽園を描いていると感じた。

《御苑の大樹》フォト
そう思うと、画面一杯にうねるような幹にも命の強さを感じる。野十郎の絵に上へ上へと上昇していく雰囲気があるのは、縱の線にだけ最後に輪郭線を描き加えているからとのこと。

《雨 法隆寺塔》フォト
よく見るとそぼ降る雨にも輪郭線が描き加えてある。根気いる仕事だ。
この絵は、2度も災難に遭っている。1度は盗難に遭い、4年後に縁の下からゴザに巻かれた状態で見つかった。カビだらけで朽ちかけていたのを修復。次に火災に遭う。焼失は免れたものの黒こげ。そして修復。酷い状態なのに2度も修復できたのは、野十郎がしっかりと丹念に絵具を塗り込めていたおかげ。こうした姿勢も若冲に通じるように思う。

《からすうり》フォト

《すもも》フォト

静物画はどれも素晴らしかった。超写実みたいだけれどそれだけじゃない何かがある。
戦前の作品は、斜上からの強い光で陰影を出し立体的に仕上げていたが、次第に光はやわらかくなり、全体を包むようになった。均等に光を当て細部を描くことは仏教の教え「慈悲」に通じると解説にあった。風景の細密に感じたことと同じだ。なるほど。

作品のなかに時々登場する紐で吊るされた緑色の紡錘形の玉(翡翠のようにみえる)の意味が気になるなぁ。

「足音を立てず 靴跡を残さず 空気を動かさず 寺門を出る」
野十郎の言葉、墓碑にも刻まれている。

《煙(夜の)》フォト
煙草の連作は2点。《蝋燭》シリーズに通じる。静謐。

太陽のシリーズは4作品、月のシリーズは11作品。

太陽のなかで一番好きな《林辺太陽》フォト

月は最初は山並や樹など風景も描いていたが、最後には暗闇に白く発光する満月のみ。
フォト

フォト フォト

《蝋燭》は19点。うち、燭台に乗せてある蝋燭は2点。皆少しずつ違う。
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10年前は暗めの照明にスポットライトだったのでより印象的だったが、今回はのっぺりしたホワイトキューブの展示室。
が、研究が進んでいて、炎の輪郭にキラキラ光る結晶が使われているのが発見された。その結晶が何なのかまだ解明されていないが、野十郎が意図して使ったもの。使っていない絵と使っている絵がある。これは興味深い。

良い展覧会でした。6月5日まで。足利、福岡に巡回。

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