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2015年12月29日23:40

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焙烙街道93 軍人像 籠川

フォト

亀首町 熊野神社の境内の西の端には2体の軍人の等身石像が設置されていた。

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上記写真の軍人石像は帽子が明治期の陸軍のもので、
右手に手袋、左手で軍剣の柄を抑えている。
その髭と風貌から乃木希典(のぎまれすけ)陸軍大将だと思われる。
今や、乃木坂48のグループ名の由来元となった人物だが、
日露戦争の中国・旅順攻囲戦に於いて、旅順要塞を陥落させたことで知られ、
明治天皇崩御にともない、妻と共に殉死した。
もう1体は右手に双眼鏡、左手で軍剣を持った石像だった(写真左)。
やはり、海軍の帽子と髭と風貌から東郷平八郎元帥海軍大将と思われる。
日本軍の参戦したあらゆる戦闘で最大の武勲を上げた人物であり、
太平洋戦争で日本海軍と戦った米国海兵隊の指揮官たちにもリスペクトされ、
終戦後、GHQによって日本の軍事的モニュメントの撤去が行なわれた際も
東郷像だけは残された。
フィンランドがロシアから独立する遠因となった人物であることから、
フィンランドでは近年まで
平八郎の肖像をラベルにした東郷ビールが販売されていた。
ふたりは神格化され、それぞれ、
乃木神社と、東郷神社として、国内各地に祀られている。
なぜ、ここに
この2体が置かれている(祀られている様子は無い)のかは不明だが、
2体とも石像なのに誰だか判別できるほどよくできている石像だ。
この日はここで陽が落ち、帰途に着いた。

12月の下旬 晴れ
意毋観世音の存在を知ったのと、
焙烙街道(ほうろくかいどう)の東の起点のひとつが判明したことと、
亀首町 熊野神社に向かった焙烙街道の伊保町下河原交差点の東にある
笹川橋と籠川(かごがわ)を見落としていたので、
何度目かの伊保町(いぼちょう)に向かった。
意毋観世音を観て、伊保町下河原交差点から焙烙街道を東に向った。
交差点名から推測できるように伊保町下河原交差点は籠川に掛かった
笹川橋の西の袂にある交差点だが、籠川は車道からは川面の眺望が無く、
笹川橋は路面の継ぎ目も自然で(写真中)、
その存在にまったく気付かずに通り過ぎていたのだ。
笹川橋の全長は90m近くある大橋なのにもかかわらず、
欄干が公園の柵レベルのものであることも、
橋であることに気付かなかった要因だった。
この日は上流側だけある歩道から(写真中:左側)川面を見下ろしたのだが、
水流の幅は10mほどで、河原の大部分は土砂が堆積し、
その表面は茅や雑草で覆われていた。
籠川は水源を猿投山(さなげやま)としているようで、
380mあまり下流で伊保川(いぼがわ)が合流し、
さらに3.3kmあまり下流で矢作川(やはぎがわ)に合流している。
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