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2015年07月19日23:49

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そこのみにて光輝く

演劇を見る。佐藤泰志の「そこのみにて光輝く」の舞台化。この小説は数年前にメジャーで映画化されたが、あまり注目されなかった。
それを、無名塾の2人、樋口泰子と渡辺翔が演ずる。他のキャストは文学座所属や売れない吉本芸人など、寄せ集め。主催もよくわからない。樋口泰子は駿台甲府のOGで、無名塾の商業演劇で重要な役を演ずることもあるし、今回のような自主制作的な小演劇にも出る。150人ほどのサイズの笹塚ファクトリーという箱で6日間9公演。日曜の昼、満員で椅子を追加していた。
物語の舞台は70年代の函館で、貧しい家庭で暮らす出戻りの千夏(病気の父・母・弟を養うために体を売っている)と、企業を辞めて無職の男・達夫の色恋。原作もいまいちで、被差別部落出身の家という設定や、病気でも性欲だけ強い父親、労働運動の欺瞞など、ごたごたしている。
芝居ではそれをすっきりさせるかと思いきや、ごたごたしたまま。話の運びもかなり原作に忠実で、ちょっと拍子抜け。「犬殺し」といった台詞や最後に近い場面で、病気の父を満足させる千夏などが唐突に感じてしまう。
実は、今回、芝居を見ることを決めてから原作を手にした。当然、泰子が演じるとこうなるんだろうと想定しながら読んだのだが、実際の舞台を見て、それがほとんど裏切られなかった。
それは、嬉しくもあり、かえって期待外れでもある。だって、彼女の新たな面が発見できないし、原作を読む以上のインパクトはないのだから。

「生」の舞台は、観客を巻き込んだり、相手役の調子に合わせたり、毎日変化していくものだろう。小さな劇場であればなおさらだ。それを味わいたくて出かけるという面がある。知り合いが演じていればなおさらだ。

泰子のお父様に久しぶりにお会いしたが、年を召されたな、という印象。それだけ泰子も年を重ねたということだろう。娼婦を演ずる娘の舞台を見る、というのはどんな感じなんだろうな。

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