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2015年02月19日09:50

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フォルムの実際 19世紀 緑の日傘2

フォルムの実際 19世紀 緑の日傘
 宮崎駿監督の長編アニメ、風立ちぬのポスターに、大きな日傘をさして堤の上で絵を描いている女性が描かれている。このポスターを見て、モネの絵画を思い出す人は多いのではないだろうか。モネは、堤の上で日傘をさしている女性の作品を何点か描いている。宮崎駿監督も、モネのこの絵画が印象に残っており、自分の作品にもそのオマージュとして描いたのだろう。宮崎駿監督が描いた風立ちぬのポスターの日傘も影の部分が薄い緑がかった色で描かれていた。そして、ポスターには、生きねば、と書かれている。この 1875年に描かれたWoman with parasolは、モネの代表作と言っていい作品なのだが、フランスには無く、アメリカのワシントンナショナルギャラリー所蔵となっている。当時印象派の画家達を支援していたアメリカ人画商がモネから買い受けアメリカへ持ち出したのだろう。ワシントンナショナルギャラリーには印象派の記念碑的作品が多数収蔵されている。アメリカ人画商が大量に印象派の絵画を買ってアメリカに持ち出したのだ。モネの積み藁の連作の多くもアメリカに存在する。1875年に描かれた日傘をさす女のモデルはカミーユだが、元々カミーユは美術モデルを仕事にしており、モデルが縁で1865年にモネとカミーユは出会っている。カミーユ18歳、モネは25歳だった。1866年にカミーユをモデルに描いた緑のドレスを着た女はサロンに入選した。2人は直ぐに恋に落ち、1867年には、長男のジャンが誕生している。だが、モネとカミーユは身分が違い、庶民階層出身のカミーユとの結婚をモネの父も叔母も許さなかった。モネの母親はモネが16歳の時に他界しており、その後モネは未亡人の叔母の家に預けられ叔母が母代わりになってモネを育てていた。まだ画家修行中だったモネの経済的支援をしていたのも父と叔母だったのだ。モネの家族からは、カミーユと別れるように強く言われるが、モネは、父と叔母には隠して、カミーユと息子の3人での生活を続けていた。それがバレて、モネは父や叔母からの仕送りを断たれてしまう。まだ生活力の無い若いモネは借金をして生活費をやりくりしていたが、家賃を滞納してアパートを追い出されたりと、どん底の生活が続く。カミーユと息子ジャンを捨てれば、親からの支援も再開されたのだが、モネは、愛するカミーユと息子を捨てる事はできなかった。1868年、追いつめられたマネはセーヌ川に身を投げて、自殺を図る。何とか命は助かったのだが、経済的苦しさは変わらない。肖像画を描いたり、友人達の助けもあって、何とか生きていた。1870年に、友人のクールベが証人となってカミーユと結婚式をあげる。モネは、持参金1200フランを工面しカミーユの両親に渡している。その結婚式にはカミーユの両親は出席したのだがモネの父も母親代わりの叔母も出席しなかった。当時モネは借金取りから逃げ回る生活をしていた。普仏戦争が勃発し、モネはイギリスへ出国するのだが、そのお金は父親が出したとも言われている。自殺まで図ったモネに対して、結婚は反対だったが、親としては不憫に思うところもあったのだろう。後にカミーユも子供を連れてモネを追ってイギリスに渡り親子でイギリスに滞在する事になる。イギリスで普仏戦争が終わるまで滞在し、その後、家族でオランダ旅行をしている。1871年秋にパリに戻り、その年の12月にパリ郊外のアルジャントイユに家を借りて住むようになる。マネの口利きだった。この時期、モネは多くの友人に助けられている。また、イギリスへ出国する前に病気の父を見舞っているのだが、1871年に父が他界し遺産がマネに入ってきたようだ。だが、その遺産もそう長くはもたなかった模様。1874年には最初に借りた家の家賃を滞納し家から追い出され、近くの別の家をまたマネの口利きで借りる事ができた。1874年の印象派展が評判になると印象派の画家の絵を買ってくれるコレクターも出始める。それが百貨店の経営に関わっていた実業家のアーネスト・オシュデだった。アーネスト・オシュデは、モネだけではなく、いろんな印象派の画家の絵画を大量に購入する印象派コレクターでもあった。シャトー・ド・ロッテンバーグと言う城を所有するような大金持ちで、1876年頃にその城に掛ける絵をモネは依頼された。モネは、ムッシュ・オシュデの城に度々出かけるようになり家族ぐるみの付き合いが始まる。その時にモネはオシュデの妻のアリスとも出会っている。城に家族で滞在する事もあったようだ。この時期は、モネの収入が増え、カミーユにもちょっとした贅沢をプレゼントすることが出来た。モネも、バラ色の未来を想像していたのではないだろうか。だが、事態は急転する。

画像は、左から長男のジャンの誕生、寝ている姿、アルジャントイユに家を借りモネ一家3人で暮らし始める。乳母も雇い、ちょっとした優雅な時を楽しんでいた時期だった。日傘をさしているのがカミーユ、ジャンも絵を描いているモネを見ている。傍らに立っているのが乳母。なかなか立派な家だ。貧乏をこじらせて自殺未遂までしたとは信じられないぐらい幸福感に包まれている。中の画像は、モネのパトロンとなってくれたムッシュ・オシュデと妻のアリス・オシュデの肖像画。立派なお城のような豪邸の持ち主。右の画像が、その豪邸に飾るためにモネが描いた絵画。豪邸をバックにして七面鳥が描かれている。モネらしくないモチーフだが、ムッシュ・オシュデの要望だったのだろう。

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