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2015年02月05日11:36

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フォルムの実際 19世紀 印象派誕生

フォルムの実際 19世紀 印象派誕生
 新進気鋭の画家達とサロンとの対立が鮮明化し、1874年、新進気鋭の画家達でグループ展を開催する事になった。それが、現代言われる第1回印象派展になる。当時フランス美術界は官展であるサロンが牛耳っており、サロンに入選出来なければ画家として活躍するのが難しい時代でもあった。だが、フランスには新古典派とロマン派の対立もあり、写実派、バルビゾン派も新古典派を批判する。新古典派は政府系美術政策に強い影響力を持っており、サロン出品作品の当落決定権をも握ってもいたのだ。そのため、意図的に落選させられる作品も多かった。もちろん落選させられた画家達は不満を持ち、ナポレオン3世は、落選作品の公開を許可した。有名なマネの、草上の昼食もこの落選展に出品され批判されたものだ。サロン系の評論家は、落選展に展示された作品をくそみそに批評する。サロンとは方向性の違う絵画を認めようとしなかったのだ。若きモネは、落選展で展示されたマネの草上の昼食に強い影響を受けており、同じテーマで作品を描いている。マネは、自分の作品を落選させられてはいたが、やはりサロンの権威は重要だと考えており、サロンへの出品を続け、印象派の画家達にもサロンへの出品を勧めていた。フランスに新古典主義が生まれ、アカデミーから、付属する美術学校から、官展のサロンまで牛耳るようになり、巨大な権力と利権を握ってフランス美術界に君臨するようになっていた。現代の古典絵画批判は、この時代の新古典主義への反発がルーツになっているのだが、日本では、新古典主義への批判を古典絵画全般への批判と勘違いしてしまっている人が非常に多く混乱が起きてしまっている。新古典主義と古典絵画は別物だ。当時は、まだ古典絵画の流れの中にいたのだが、その中で、新古典主義派が、他の古典絵画系の画家達を弾圧していた構図だ。それに、反発していたのがロマン派であり写実派、そしてバルビゾン派の画家達になる。フランスで、西洋絵画の派閥争いが勃発していたのだ。印象派も反新古典派になるが、それ意外の古典絵画を否定していた訳ではない。モネやその仲間達もサロンに出品していたが落選が続き、サロンへの不満もあって、自分達で展覧会を開催して自分達の作品を世に問うようになる。サロンの落選展は、それまでも行なわれていたが、官展であるサロンに対抗して民間の展覧会を開催したのは印象派展が最初であったようだ。1874年に開催された第1回印象派展に出品されたのがモネの、印象日の出と言う作品だった。この印象日の出は、モネのそれまでの作品と比べて大きく変化していた。比較的固めの絵の具を豚毛の筆でキャンバスに置いていくように描いていた作品に比べて、絵の具が柔らか目になり、筆致が踊るように軽やかに舞っている。当時モネが研究していた描法だったようだ。この印象日の出には、イギリスで研究していたターナーの作品の影響が強く出ている。モネの場合、作品のスタイルや筆致がかなり変化している。それも、年代によって徐々に変化するのではなく、急に荒々しいタッチで描く場合がある。比較的丁寧に描く作品も多く、その時の気分でも変化するようだ。まさに、風景を前にした時の印象で、作品の筆致から描法まで変わってしまうのだろう。非常に感覚的な画家で、筆致がころころ変わるために、好き勝手に描けばよいのだと言う誤解も生まれてしまった。確かに感覚的な描法を重視する画家ではあるのだが、それと絵画の造形とは別物だ。モネは、印象日の出を制作するまでに10年程の画家としてのキャリアがあり、造形が身に付いている画家だ。そのため、造形を確保したまま、荒々しいタッチでもイメージをそのまま作品にする事ができたのだ。初心者が好き勝手に描けば印象派の絵画になる、なんて事はないので誤解しないように。
 画像は、モネの印象日の出、柔らかめの絵の具で、比較的荒い筆致で描かれている。ここまで筆を走らせる描法はそれまでモネは行なっていなかったので、新境地を開拓した意欲作になる。荒い描法だが、造形は保たれている。ここが、モネ作品の胆だ。遠景は空気遠近法で描かれ、水面も平面の広がりがしっかりと描写されている。3つのボートが距離の違いによって描き分けられており、色も中間色が中心で、グレー系の色味が美しい。明度をコントロールするためにホワイトを混ぜている。そのため彩度は落ちてしまうのだが、それを距離の表現として利用、近景の彩度を上げる事で対比が生まれ、彩度の変化によるリズムが心地よい。明度による変化、コントラストによる変化、そして彩度による変化、バルールも完璧で、もう、これ以上、一筆も加えられない完成度の高い作品になっている。中は、モネに影響を与えたターナの風景画、モネは帆船を良く描いており、それもターナーの影響が考えられる。右は、抽象画のようなターナーの風景画。ターナーはロマン派とされており、フランスを牛耳っていた新古典派とは対立していた。フランスの評論家もターナーの作品は知っていただろうから、モネがターナーに影響されている事は気付いていたはずだが、新古典派至上主義の評論家にとってターナーの作品も否定的に扱われていたのだろう。価値観が1つのスタイルに偏って凝り固まってしまうと、そこで化石化してしまうのだ。これは印象派至上主義も同じで、気をつける必要がある。いろんな作品を鑑賞し思考を柔軟にし感性を磨いて、そこから謙虚に学ぶ姿勢が重要だろう。





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