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2014年12月19日07:17

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戦車戦を虫眼鏡で覗くような微視的戦闘アクション映画、デビッド・エアー監督「フューリー」(2014)。

僕は基本的に、戦争映画というものは広く状況を描いてくれる作品が好きです。加えて戦闘に参加する兵士たちの個々の人生が感じられる映画が望ましい。だから「史上最大の作戦」のように、個々のエピソードを積み上げてノルマンディー上陸作戦という全体を浮かび上がらせる手法は、その嚆矢と言えるわけです。今回の「フューリー」は、“フューリー”とニックネームのついた戦車にほぼ限定して、その戦闘を描くという実に微視的な戦争映画でした。

1945年4月、アフリカ戦線から異動しノルマンディーからの軍に合流したドン(ブラッド・ピット。ウォーダディとのあだなも)は、敗色濃いドイツ軍と戦いながらベルリンをめざしています。そして戦略的に重要な十字路を死守する命令を受け、仲間の戦車4台と作戦を開始する。しかし行く手にドイツ軍のタイガー戦車がいて、仲間はすべてやられ、孤軍奮闘となる、という展開。

大半のシーンが戦車内の狭い空間で、しかもその配置などを格別説明するわけではありません。誰が何の役目なのかも、実際の戦闘シーンからおいおい知っていくだけ。そういう意味で説明を排した作り方です。そのあたりは「エンド・オブ・ウォッチ」の監督さんならではという雰囲気がしました。

一方で、冒頭ブラッド・ピットがドイツ兵を倒して馬を解放するというエピソードを、後半で説明したりする。今回は“わざわざ説明しやがって”というほど嫌味な説明ではなかったのでOKですが、僕はあんまり好きな作劇法ではありません。好きでないと言えば、微視的な戦闘場面が窮屈で、そもそも好きではない。だけどこの映画の説得力に押し切られました。それが大事なのだと思っています。

いちばん説得力があった場面は、グラディがエマの卵焼きに“味を付けてやる”となめたものを、ドンが手を付けていない自分の卵と取り換え、食べ始めるところでした。この感覚がこの映画のポイントだと思います。つまり、エマへの配慮だけではなく、グラディとドンの親密感も加わっている。ただ、グラディならもう少し空気を読むだろうと不信感を持ったことも事実です。

それと字幕に疑問を呈しておきます。ドイツ軍の戦車を“ティーガー”としていました。もしかしたらドイツ語の発音ではそうなのかと思い、一時は納得しかけたのですが、その名前を口にする人はすべて米兵です。だから彼らが認識している“タイガー”でいいのではないか、と思うわけです。少なくとも僕は今まで、アメリカ映画ばかり見ているせいか“タイガー戦車”としか認識していません。日本でティーガーと呼ぶのが定着していて、僕だけが認識不足ならそれでいいのですが、そこまで常識となっている呼び名なんでしょうか。

僕の考えでは、アメリカ映画において零戦が米兵に“Zeke”と呼ばれた場合、日本語字幕ですから“零戦”と字幕にするのは“正しい”。しかし米軍機などを米兵が呼ぶとき、日本軍が理解していた愛称で呼ぶのは“間違い”だということです。

僕は最近ライターとしての仕事がほとんどないので、観賞する映画は自分の好みに偏っています。だからこの「フューリー」なんかは、デビッド・エアーという監督の作品でなかったら見なかったはず。ブラピが年甲斐もなく戦争映画でエエかっこしてるだけとちゃうんかい、と半ばバカにして見に行ったわけですが、この微視的な視点の戦闘表現には感心しました。とはいえ、万人にお勧めするという“秀逸な作品”というわけでもない。

とりあえず僕には何も具体的利益はないけれど、デビッド・エアーという監督さんが世界的なヒット作を作ったということで、今後次々と監督作を世に出すことができるだろうという部分だけはありがたい。セス・ローゲンの新作が公開中止になったという残念な出来事と前後してこの映画を見たので、少しは光を見出したいという気持ちが強く働いたことも事実です。
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