mixiユーザー(id:20556102)

2012年09月04日23:11

392 view

関 政明歌集『走る椅子』

2012年、短歌研究社刊。

昨日の「新聞歌壇より(46)」で《すこしづつ違ふ夕映え病室の1号2号3号5号》という歌を引いた関さんの第一歌集。

僕が関さんのお名前に初めて注目したのは、たしか「NHK歌壇」への投稿歌だったと思う。その後、関さんが長期療養生活を送っておられる方であることを知り、また、短歌のほかに絵を描かれる方であること(※)をも知ったのだった。正確に言えば、もともと絵を描かれる方だったのだが、次第に俳句、そして短歌へと表現世界を広げて来られた、ということのようだ。

(※)http://www.lets-ict.x0.com/gallery/4-1-1_seki.htm

であるから、関さんの短歌は「趣味」として短歌を始めてみました、というようなものではない。詠まずにはおられぬことが詠まれ続けてこの歌集一冊に至ったのであろう、という経緯が、この歌集を読みつつよく了解されるのである。その表現の動機の切実さに僕のような読者はまずもって頷く。

ほとんど一首ずつに、麻痺の身となり療養者となって生息していることへの嘆きがあり、しかしその嘆きを詠むことによって関さんの生はよく持続されているのだ、ということが感じられる。ところどころに、春の陽が差し込むような歌もあって、療養生活の日々の起伏を歌集のページの進行上からも看取することができる。

以下、『走る椅子』より12首。

 本棚の本の間に抜かれたる一冊ぶんの暗闇立てり

 イヤホンを差して歌聞く右耳は左に少し遅れて眠る

 靉嘔(あいおう)の画集閉づればわれのみの部屋の夕暮れにはかに深む

 夕映えに川はきらめくわが街を二つに分くる亀裂となりて

 障害は個性ではない ベッドよりわれはリフトに吊り上げらるる

 面会の母は帰りぬ夕映えを丸く乗せたる椅子を残して

 食べ物をぽろぽろ零すわれとなる 鶏なんぞ飼はねばならぬ

 ふるさとの山の若葉の載るページ青空の角すこしだけ折る

 一枚の写真に若き父母のゐて兄ゐて姉ゐてわれのをらざり

 外出の許可願ひ書く行き先に添へてちひさく「春を探しに」

 パンジーの種のふくろを振る音と同じ音する薬のふくろ

 明けゆける窓辺の丸きもの一つしだいに紅き林檎となれり


【最近の日記】
新聞歌壇より(46)
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1868796252&owner_id=20556102
童 女[「逸」掲載20首]
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1868204012&owner_id=20556102
柳生じゅん子「樹の海」
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1867994493&owner_id=20556102
文学は他の何ものかのための手段か?
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1867758514&owner_id=20556102
9月号「短歌人」掲載歌
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1867484439&owner_id=20556102
3 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2012年09月>
      1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
30