mixiユーザー(id:20556102)

2009年04月18日18:09

374 view

短歌のイベント2つ

ちょうど1週間前、4月11日−12日、短歌人新人会の吟行合宿に参加した。参加したと言うか、一応僕も世話役の一人だったので“主催者側”の立場だったのだが、何と言ってもこの企画の主催者はchitetsuさん、言い出しっぺにして企画立案、宿の手配、細部の面倒見係まで、ひとえに彼の怪力によって実現したのだった。僕は彼に割り振られた僅かな仕事を手伝ったにすぎない。
場所は伊東、吟行は大室山山頂(と言ってもリフトでするすると行ける山頂だが)で行なった。2日間とも良いお天気に恵まれた。ゲストの方々を含めて総勢17名。みんな日頃の行ないがとびきりよろしいのでせう。
スタートはちょっとしたアクシデントあり。11日午後1時に伊東駅改札で待ち合わせたのだが、遅刻の方2名、別の駅に降り立った(!)方1名。でしたが、なんとか無事に3人とも大室山のリフト乗り場で合流することができた。僕は遅刻の方2名を待って次のバスで追いかけたのだが、先発組のバスとは僅か5分差、しかも経由が違うので終点のリフト乗り場ではめでたく追いついてしまったのだった。しかし、遅刻した者は必ず言い訳をするというなんとやらの法則は、中・高生のみならず中年に至るまで成立するらしい(笑)。
リフトで山頂に登り、しばし歌を詠みつつ歩く。山頂と言っても狭い場所ではなく、カルデラの周囲をぐるっと一周する遊歩道があるのだった。30分ほどで一周できるというその道を1時間半ほどかけてわやわやと歩き、伊東駅近くの宿へ。
11日の夜はまだ深夜とは言えない時間から始まった深夜サロンで、大いに飲み、食い、喋る。ひたすら短歌の話・・・かと思えば、時々○○さんの○○○○な生きにくさをめぐる問わず語り、などというシーンもあったが詳細を記すことは控えます。最後までねばった面々の就寝は午前3時すぎ。久々に学生時代の合宿を思い出した。僕が定期的に参加している某研究会(教育福祉関係)の合宿は、メンバーの平均年齢の上昇につれて、就寝時間は早まるばかり、だ。短歌人の皆さま、若いです。^^
12日は朝食後お昼まで宿にて歌会。各自が1首提出した前日の大室山にての歌について、日頃の歌会と同じような形式でみんなしてなんだかんだと言い合った。今回、文さんと僕と初めて歌会の司会役を務めたが、なんとかつつがなく終了することができた。日頃の歌会と違うのは、つい前日に同じ場で同じ経験(と言うのか? まあ、経験なんでせう)をした者たちがそれについて歌うので、こういう表現はあの場での実感と違う、などという意見があったり、また、この歌は今回の吟行に参加しなかったひとには何のことか伝わらないのではないかという客観的な意見もあったり・・・というようなあたりか。
最後に17首のうち各自5首を選んで投票、上位入賞者にはすてきな賞品、それ以外のひとたちにもすてきな参加賞が贈られた。僕はめでたくすてきな参加賞でした(笑)。当日出した拙詠はもう少しなんとかして敗者復活戦と行きたいのでここには記さないことにするが、しかしあの山頂をゆらりゆらり歩いていたら、「地軸」を感じるのが人間というものであろう?!というわが感覚は全く通じなかったのでした・・・
最後に場所を変えてお別れの昼食会。この移動の時に僕はちょっとしたヘマをやらかしたのだが、まあたいしたことではないのでここには記録しない(笑)。どうしても知りたい方はchitetsuさんのブログをごらんください。^^
「短歌人」編集委員の平野久美子さんが参加してくださって、11日の夕食の折りのご挨拶で、大変にありがたい励ましのメッセージをくださった。結社内有志の自発的な動きを抑えるのではなく積極的に応援してゆくのが「短歌人」の良き伝統であること、しかし「短歌人」あっての新人会だというものごとの順番は忘れないように、そして、こうした動きを始めた以上はぜひ長く続けてほしい・・・と。
早くも次の合宿は何時? 何処で? などという声もちらほら。第1回目はとても良い合宿になったので、これは年1回または2回、定例化してゆくことになりそうだ。
もし何時か僕が今回のchitetsuさんのような役まわりをやることになったら、たぶん不備な点が山積して、「伊東の時は良かったなあ」と皆さまに言われるのではないかと深くおそれる。^^;もう、その声が耳元で聞こえるような気がしてならない。


15日の夜は、東京・神田の学士会館にて開催された歌人協会主催の公開講座を聞きに行った。テーマは「文語 vs 口語」。文語チームが小池光さん、水原紫苑さん。口語チームは東直子さん、斉藤斎藤さん。司会は穂村弘さん。ディベートとまでは言わねどそれに近いような演出が施されて、大いに盛り上がった。司会の穂村さんは公平中立というよりは35度ぐらい(笑)口語チームに傾いていたように感じられました。
小池さんは文語というか韻文の良さと力について力説し、「私は口語短歌を読んでもお腹いっぱいにならない」と繰り返し言われた。それに対して斉藤さんは初めからそう言われては口語には勝ち目はないみたいなことを言うので、もとよりこういうテーマは百年単位ぐらいでおのずと“なるようになってゆく”ものなのだろうが、この夜の限りでは文語チーム判定勝ち、という感がありました。
水原さんは、文語と言ってもどの時代の文体にさかのぼるのかはさまざまだという点を指摘され、さらに、口語は自由だと言うが私は自由になりたくないと言い、さらにさらに、私は歌が好きではない、ではなぜ歌うのかというと文語で歌うことによって死んでいった者たちを思い、死にゆく私を感じる、それによって私は生きられるのだ・・・、だから私はいつも最高のテンションで歌う、ほんとうはもっと抑えた方が良い歌が詠めると知っているが私にはこうしかできないんです!・・・と終始テンション高く「私は・・・」で押し通す発言。大変インパクトがありました。
小池さんが力説された文語のメリットは、僕は共感しつつ聞いたが特に新たな発見と思える論点はなかったように思う。むしろ、東さん、斉藤さんがぽつりぽつりと語った“口語短歌の良さ”についての話は、なるほどそういうこともあるのかと思ったところがありました。特に斉藤さんが、口語は主語が特定されないので、「われ」のモノローグにはならず、詠み手と歌の登場人物相互間の「関係性」という視点を導くことができる、それはバブル期に象徴されるような共同体が無化され個人がばらばらになった状況で歌うにはふさわしい特質なのだと言われていた点、文語では必ず同質の共同体内で歌われる「われ」のモノローグになると決めつけて良いものか? という疑問は残ったが、なるほど口語で詠むひとたちはそういうことを考えているんだ・・・と、印象に残った発言でした。
2 28

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2009年04月>
   1234
567891011
12131415161718
19202122232425
2627282930