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2021年06月07日03:27

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こういう映画は静かに“退治”したい。ハイメ・ロサレス監督「ペトラは静かに対峙する」(2018)。

つまり、僕がいつも言っている“方法だけを論ずる”映画だから、退廃する運命にあると考えるのです。カメラを1台しか使わないだとか、デジタル・インターミディエイトを使用しなかっただとかトリビアにありますが、ちゃんちゃらおかしい。例えば章立てをして映画が進むのですが、第1章から順番ではなく入れ替えてあります。2,3,1,4,6,5,7の順ですと。アホか。

以下、バカバカしくて我慢ならなかったのでネタバレで書きます。物語などを知りたくない方は読まないでください。

かつて記憶が15分しかもたない人物が主人公の映画があり、どんどん時間軸を遡るという構成の映画がありました。あれも、時系列順に並べて見直すとしょーもない話だったわけですが、今回も時系列順に並べたら(今回は並べませんでしたが)しょーもない話なんです。そもそも、自分の父親が誰なのかを自分の母親から聞き出せなかった娘が、母親の死後あちこち聞きまわってどうする。

そりゃ人それぞれですから、自分のルーツを確認したいという娘は存在するかも知れません。でも尋ね当てたつもりの男に嘘をつかれ、その息子(ハーフ・ブラザーですな)と恋仲になって娘ができたあと“事実”を知らされると、息子が逆上して父親を殺してしまうわけです。そして母親となった娘は父親の妻から、息子は父親とは別の人間の子供だと教えられるが、娘を父親の妻に会わせようとしない。みんなイケズなうえに小さい人間や。

そんな物語がそもそも僕にはバカバカしいのです。近親者が子供を作るのがいかんと考えるのは科学的に(生物学的にかな)“正しい”のかどうか、僕は知らんのです。よく世間ではそれを禁忌としていますが、立証されているの?←たまたま僕は全く血縁関係にない妻を娶りましたが、それはたまたまです。だって、アダムとイブという2人から全人類が誕生したんじゃなかったっけ?

先程、章立てを入れ替えてあると言いました。そのとおりに構成しているように見えて、実は更に細かく入れ替えてあるのです。かつて前述の「メメンドウ」とか「モメントケ」とかいう映画を作ったクリストファー・ノータリン監督も、そこまで“あくどい”手は使いませんでした。今回のハイメ・ロサレス監督は、小手先の小細工に終止ししすぎですわ。

要するに20世紀中ごろの小津安二郎の映画ではないんだから、あるいはエデンの園を追われたアダムとイブの話を今更する必要もない時代だと僕は思うのです。ことさらカメラワークをもったいぶって見みるわ、息子が言い寄ったときに逡巡する娘の意図を後で分からせるとか、ちょこざいな手品のつもりがあまりにもしょーもない内容でした。

もういちど確認したいのですが、家族という関係は血の繋がりだけではありません。共に暮すという共通意識が関係を作るだけです。そのコミュニティ=仲間意識が“家族”であり、社会の基盤だと僕は考えます。生物学的な家族を探し求めること自体を否定はしませんが、そんな事実よりも社会生活を優先しましょうよ。

だって今、地球は環境破壊されて壊滅の危機にあるのですよ。生命の危機に直面しているときに、自分のルーツって、あまりにも自分勝手ではないのか?と僕は言いたいのです。つまり問題の立て方が間違っている映画は、存在しなくていい。ゴキブリと一緒にゴミとして処理しましょう。こんな映画に手を出した僕が間違っていました。
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