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2019年07月19日21:05

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ヴィーナス&女神ツアー22 カスピ海東南部の古代城壁

縄文のヴィーナスの出土した
場所(座標:36.021449, 138.173251あたり:棚畑遺跡)から、
イナンナ(別名イシュタル)が守護神として祀られていたメソポタミアの都市
ウルク(紀元前4,000年〜紀元前3,100年/座標:31.18,45.16)
を結び、

フォト

そのラインを
ウルクから棚畑遺跡に向かってGoogle Map上で辿ってみた。

     ※現在のウルクの場所は座標の数値「31.18,45.16」を
      Google Mapで「航空写真」表示にし、左上の地名検
      索欄に入力して検索すれば見られる

ラインを全て辿るのに、合計7時間ほどを要した。
かつて、ウルクの存在した地の現在の国名はイラクだが、
その国名はウルクに由来しているという説がある。

旧ウルクから日本海の間には複数の気になるもの、
謎なものが見つかったが、その一部をこれから紹介する。
カスピ海南部の山岳地帯の南西の麓に位置する旧ウルクから
棚畑遺跡に向かうと、255km以内でイラクとイランの国境を超え
カスピ海南部の山岳地帯に入る。
ここには土壁で囲われた不思議な造形の人工池、
偶然なのか必然なのか、ウルク〜棚畑ラインと平行した滑走路を持つ
セムナーン新飛行場などがあったが、
見過ごせないものは旧ウルクから1,452kmあたりの
北ホラーサーン(座標:37.147170, 57.859589)に存在した(写真左)。
ここは、現在はイランのファルージ郡に当たるが、
すでにカスピ海南側を通り抜け、カスピ海の東側に入っており、
山岳部をトルクメニスタンの平野部に抜けようかという場所だ。
ここに行くには北々西98kmに位置する都市、
トルクメニスタンのアシガバートから
北ホラーサーンに向かって上がって行くのが近道になりそうだ。
この山中に火山のクレーターのようなものが複数存在していた。

フォト

ここでは北ホラーサーンの3ヶ所の
クレーターのようなものを取り上げたが、
当初は、そういう地形なのだろうとスルーしてしまっていた。
しかしトルクメニスタンに抜けた平地アハルで見つけた、
野球場のようなもの(写真左/座標:37.646455, 59.175257)を
調べていると、それが紀元前6世紀から、この地域で築造された、
円形に日干レンガを積んだ城壁の遺構の一つらしいことが判った。
(写真中)を見れば解るように、都市は全体が方形の壁で囲われ、
特に重要な部分は壁をさらに高く円形に構築されている。
こうした都市の遺構はトルクメニスタンでは
代表的な遺跡として紹介されているのだが、
イランではもっと“大物”が多く存在するために、あまり情報が無い。
それで、トルクメニスタンから旧ウルクに戻り、
この円形城壁を意識しながらラインを再度移動したところ、
北ホラーサーンで複数の“城壁”集積地を見つけたのだ。
上記の写真を見ただけでは、
まだ、自然物だとみる人も存在するだろうから、
以下に人工物であることが解る映像を紹介する。
まず、ラインにもっとも近い場所にあり、
この周辺では最小(壁の東西100mあまり)の円形の壁だが、

フォト

これに関しては壁内に人口であることが判るようなものは
何も残っていない〈上記写真(A)〉。
この円形の壁の西420mあまりの場所には超楕円(壁の南北420m以内)の
壁が三重になっている場所が存在するのだが〈上記写真(B)、
いずれも、この地域特有の等高線のような岩襞が存在し、
人口の壁との見分け方が難しい。
しかしよく見ると、自然の岩襞は間隔が細かく、人口の壁は厚みがあって、
違いがあることが判る。
決定的なのは最小円形壁の北北西830m以内に位置する
槍の穂先型をした壁だ〈下記写真(C)〉。

フォト

槍の穂先型の柄の部分は明らかに人口的な形態であり、
壁の中部は人口的な仕切りで南北に分割されている。
決定的なのは、UPの航空写真を見ると、壁に沿って外側に
堀のようなものも巡らされていることだ〈上記写真(C)〉。
こうした古代城壁が巡らされた場所は円形にこだわらずに、
この周辺をよく見ると、幾つもあり、
全体で山岳都市を構成していたのではないかと想像した。

ホラーサーンは現在、三分割された州となっており、
北ホラーサーンはその最北部にあたる。
Wikipediaには「ホラーサーン」の項目が立っており、
以下の説明がある。

「ホラーサーンは長い歴史を通じ、幾多の王朝が支配し、あるいは興り亡びた土地であり、アラブ、テュルク、モンゴル、トゥルクマーン、アフガーンなどさまざまな人々が到来し、歴史に変化を与えてきた。」

「イラン古代の地理学者はイラン世界を8地域に区分したが、そのうち最大で最も繁栄していた地域がホラーサーンである。」

城壁の遺構はイラク セムナーン新飛行場の滑走路の延長上にも存在する。
(写真右/座標:35.402241, 53.697679)
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