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2014年12月10日07:19

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菅原文太追悼の意味で、中村登監督「夜の片鱗」(1964)をDVDにて観賞。追悼の意味には無理な作品でした。

中村登という監督さんの映画は、子供のころ「いろはにほへと」を見て、テレビと違うラストをつけ足していた部分に違和感を覚えながら、ちょっと気になったのでした。しかし自分から日本映画を見るようになった高校後期からは、松竹の女性物監督というイメージで敬遠し、「古都」も退色したぼろぼろのプリントでしか見なかったこともあり、あんまり注意を払いませんでした。今回、菅原文太さんが亡くなり、今さら深作作品を見なおすのもなぁ、と思っていたところ、未見の「夜の片鱗」をアマゾンで見つけ、購入したしだいです。

物語は、夜の街に立つ野本芳江(桑野みゆき)が、若い建築技師の藤井(園井啓介)に声をかけられるシーンから始まります。金で女を買ったくせに、藤井は芳江に“君はこんな商売をしている人ではない”と辞めるように言う。そして芳江の回想で6年前の女工だった時代へと戻り、バーでアルバイトをしていたとき、若いイケメン青年の英次(平幹二朗)といい仲になる、という展開です。

僕は桑野みゆきという女優さんが好きなもので、あの時代の街の女としては上品すぎる(そしてきれいすぎる)というグーフは、さっさと無視してしまいました。そしたら、カメラの具合がとてもいいもので乗せられたしだい。撮影は成島東一郎でした。←こう書くと、“成島東一郎だったら当然”という声が聞こえてきそうですが、成島東一郎だからいいんじゃない、いい映像が成島東一郎だったという事実があるということです。もっともDVDの平板な色調でこれだから、ネガからニュープリントをきちんと焼いたら、さぞほれぼれするでしょうね。公開当時に見た人は、そのアドバンテージを反芻してください。

バーで働いていた素人娘が、ヤクザな青年に惚れて身を持ち崩すというパターンは、いろんな形で映画になったりドラマ化されたり、あるいはサイド・キャラとして登場したりします。しかしこの「夜の片鱗」は、クリシェから頭一つ抜け出している。それが桑野と平の雰囲気なのですが、園井のセリフ回しが鼻じらむため乗り切れません。

しかし園井とデートしてデパートの屋上に行き、そこで女工時代の同僚(岩本多代、写真3右端。別の映画の写真です)が夫と幼い子供を連れているのに出会うシーンで、園井が桑野の婚約者を演じる場面はなかなかでした。友人夫妻が去った後に、桑野の表情をかなり長くカメラがとらえる。このとき桑野の顔に微妙な苦渋と喜びが現れては消えるように僕には見えたんです。園井の紋切り型の実直青年という顔は不愉快なんですが、今の生活から逃げだしたいという桑野の漠然とした思いがうまく表現されていました。もしかしたら数秒しかなかったのかもしれませんが、その数秒には平と別れられない自分と園井と逃げたい自分の葛藤が凝縮されていました。この場面だけで見た甲斐があった。

菅原文太は、平の所属する兜興業の兄貴分でした。セリフのある場面は2か所だけ。「仁義なき戦い」のような派手な口調ではありませんが、まぎれもなくヤクザ口調でした。組員たちが桑野を“教育”するシーンでは、黙って別室に去り、後ろ手に襖を閉めます。この存在感を確認するだけでも見た意味があったでしょう。追悼という意味からは、かなり外れるけれど。

ということで手ごたえのある佳作だと思います。公開当時、こういう日本映画は一年に10本か20本は作られていました。だから、この映画だけを持ち上げるのは“間違い”だと思います。“斜陽だ斜陽だ”と嘆くだけでいい映画を褒めようとしない評論家たちが多かった中、結局僕も今までこの映画を見てこなかったわけだから、それを恥じないといけない。しかし必要以上に持ち上げて、当時の評価を覆すほどの作品でもないということは確実です。いや、そんなことはない、と考える方は、ぜひ独自に論を展開してください。お待ちしています。
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