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2019年12月30日11:28

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「一陽来復」を辞書で調べる

 土曜日退院、実質退院1日目の昨日日曜日は朝、買い物。正午前から生け垣の剪定をすることにした。担当医からは適度に運動をしなさいと指示を受けているので、動き回ることもリハビリだと前向きに捉えた。
 29日なら年賀状を書いて出せる、と思ったが、昼間動きすぎたことと、正月に届いた年賀状に寒中見舞いで返すほうが好ましく感じられたので、この期に及んでじたばたしないことにした。
 入院中に一通、76歳の女流作家から長文のお手紙がいただいた。12月の第2週あたりから完全手書きのクリスマスカードを何人かのひとに出した。そのうちの一人が彼女なのだが、自分が入院する云々なんてことは書かず、内容は励ましとアドバイスに終始した。
「冬至の日にお便りを拝見しました」という一文で手紙は始まっていて、冬至は一陽来復の始まりなので、私の手紙がことのほか励みになった、「畳の目がひとつずつ陽の光を伸ばしてくる」冬至を境に、書き進められなかったこの1年からの再生を目指します、愛猫より長く生きることと今書いている小説に「了」の字を置くことだけが私の目標です、という内容であった。
「一陽来復」という言い回しを初めて知った。手許の国語辞典で調べると、「陰がきわまって陽になるの意」「陰暦11月、または冬至の称」「悪いことが続いたあとに運が向いてくる」とあった。
 彼女のモノローグは、私自身の希望と重なっていて、三度(みたび)読み返した。
 彼女との出会いは、私が27歳か28歳の女性雑誌編集者の時代で、たった一度のインタビューで終わるはずだった。が、なぜだかそれ以降も彼女は書けない苦悩を私に寄せて来たり、文芸編集者でもないのに生原稿の感想を求められた。私は懶惰な性格なこともあって個人的な関係を持つことに消極的で、人間嫌いである。にもかかわらず、私に対する信頼感があるひとに対しては、自分ができることを返してお役に立ちたいというくらいの良心はある。
 30年くらい前、彼女はそれまで住んでいたマンションを出なければいけない状況に陥った。詳しい事情は知らない。引っ越しの数日前、呼び出されるカタチで終業後の夜、マンションを訪ねたことがあった。
「もしお腹が減ってお金がなかったら、いつでも連絡をくれたらいい。奢るよ」と私は言ったらしい。そんなことを後年、彼女は笑って言っていた。
 私は私で妙に生々しいふれあいの記憶が鮮明に残っている。帰り際に突然、抱きつかれたのだ。私は十二分にすれたおとなの男であったが、ここで私のほうから少しでも手を出したらいけない、と瞬時に思った。弱り切っている女性と意気軒昂な編集者、というのは平等じゃない。まだセクハラやパワハラなどという言葉さえない時代で、働く人間のモラルのありようは曖昧だったが、世界人権宣言や日本国憲法で謳われた平等や個人の尊厳くらいは当たり前のことだが自分の行動や言動の原則になってもいた。
 しばらくでくのぼうのように突っ立っていたが、テキトーな挨拶をして玄関を出たと思う。別れ際の励ましが「メシ奢るよ」だったのだろう。
 文学という魔物に取り憑かれた人を数多く見てきた。
 学生時代こそ文学青年であったが、編集者になって自分の文学に対する志向性が餃子の皮くらいの薄さしかないことをだんだんと知らされた。
 さあ、今日を入れて今年もあと2日。頑張って行こう。
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