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2024年05月24日20:18

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柳ヶ瀬の夜は更けるのが早い

 22日の午後2時半、JRの在来線と新幹線を乗り継いで名古屋の手前にある「日本のデンマーク」駅に降り立った。この市について、小学校で習った「大規模集約農業」以外、この市について私は何の知識もない。
 4カ月ほど前だった。以前から好感を持っていたクルマのYouTube動画を何本か見たり、近所の道路で実車を見かけたりして、”欲望”に小さな火がついた。大手の中古車サイトで希望の年式や装備のあるクルマをときどき探すようになった。
 気まぐれな性格なので、何年式の何色で走行距離はいくらで純正のカーナビが付いていて……という条件で、さらに予算を決めているため、日本全域で探したところでそんなにあるわけではない。稀少車でしかも2015年に製造中止となったので、そもそも台数自体が少ないのだ。欲望の網にかかったのは5台か6台だったと思う。
 遠くへ行きたい。
 クルマで行きたいと思ったり、格安のLCCに乘って文字どおり東京から距離のある遠くへ行きたいという願望を持ったり。
 もう少し長距離ドライブをしたくなるようなクルマに乗り換えようかな。
 音がいいオーディオのクルマであれば、たとえば相模湾を一望する駐車場で小一時間駐まって音楽を聞きながら短篇小説をひとつ読んでみたい。
 こういう願望を贅沢だと切り捨てると、あらゆる営為は贅沢であるので生きられなくなる。音楽も文学もディズニーランドも高級なモンブランも、不必要と言えば不必要だ。
 私は良寛和尚やヘンリー・ソローのような生活に昔から憧れがあって、しかしそんなシンプルライフとは似ても似つかぬ生活を送っている。矛盾と二律背反といじましさと誤謬だらけで、ときどきはそんな自分に嫌気と劣等感を覚えてしまう。
 好きな女の子に「せめて手を握りたい」と熱い願望を抱く高校生のような心境で、好きなクルマを外から眺めて、室内に乗り込んでみたい。買うんじゃなくてそれだけでいいんだ、という心境から、日本のデンマークと、名古屋駅から在来線で20分の、2軒の中古車店を訪ねることにした。
 一軒目の中古車店は最寄り駅から歩いて30分くらい。お店に電話したら駅までお迎えに来てくれるのだが、買わないので歩いて行った。
 なるほど好きだなあ、このクルマ。
 対応していただいた店長は、話しぶりもセールストークも申し分ない誠実さが感じられて、クルマ自体もよかった。
 帰りも駅まで歩くつもりだった。ブックオフもその町にあったので寄りたかった。が、送迎しますと強い口調で言われ、甘えてしまった。クルマだとわずか6〜7分といったところ。
 もう一軒の中古車店は明日、行くつもりにしていたのだが、クルマで送ってもらったため、この際、本日中にクルマを巡る冒険は済ませ、明日は城巡りをするという予定に替えた。ホテルはその中古車店から徒歩40分のところを予約済みだ。
 駅に着いてその店に電話をしたら、すぐに迎えに行くとのこと。バス便を予め調べていたのだが、何しろ重いリュックを背負っているものだから、ご厚意に甘えることにした。
 迎えに来てくれたかたは私より6〜7歳年上に見える感じのいい職人風で、話しやすい。きっと彼が社長なのだろう。
 途中、簡単な町案内をしてくれた。
 とても丁寧な運転、約10分で中古車店に着いた。
 そこは……中古車屋というより敷地が妙にだだっ広い整備工場で、所狭しと中古車が並んでいるのだが、2台に1台は廃車かと思えるようなボロ車だった。
 大手の中古車チェーンが登場して以降、店の業態は変わった。が、ここは昭和の中古車店。プレハブ風の建物に入ると、奥様らしき女性がいて、愛想よく「遠いところからわざわざ来てくれてありがとう」などと挨拶をされる。アイス珈琲を出してくれた。
 クルマの話題から外れて、老後問題や健康についてご夫妻と私の3人で会話が弾んだ。足元には柴犬がいる。私は椅子から床に座り、犬の背中や顔を無闇に触りながら犬の話をする。
 日が暮れないうちにクルマを見なければ(笑)。
 ご主人と一緒に外装と内装を丹念に見ながら、説明を受ける。
「他のクルマはボロっちいのに、このクルマはずいぶんと綺麗ですね」と言ったら、「実はこのクルマ、私の甥っ子のもので、彼はずいぶん真面目な男で、ガレージ保管だったので”焼け”も少ないから程度がいいと思います」と応えられた。
 事務所に戻ると、テーブルの上には書類一式、自動車本体の取扱説明書、カーナビの取説、ドライブレコーダーの取説、何かわからない警報装置らしきデバイスの取説が並べられていて、奥様が「ドライブレコーダーが付いてましたよ」とご主人に問いかけ、彼は「へえ〜、そこまでは知らなかった」と返した。ネットでの説明ではドラレコは付いていなかったのだ。
 またクルマの話ではなく、ご夫妻の身の上話と私の身の上話になって、当初の目的は霧散してしまう。
 午後7時近くになり、駅まで送ってくれることとなった。
 私は、途中の美川憲一の歌で有名な柳ヶ瀬で下ろしてと頼んだ。その外れに有名な味噌カツ屋があって、晩ごはんはそこで食べようと計画していた。
 クルマの助手席に座った。
 彼はちょっと大回りをしているようで、来た時の道路と違う気がしたら、やっぱりそうで、スピードを緩めながら「あそこ、長良川の鵜飼い船がいまちょうど出発したところです」などと指差す。
 確かに左右に灯りがともった船がゆるゆると川面を滑るように動いていた。
 また違う場所を指差して「あの山のてっぺんにお城があるでしょ、見えますか」
 見えました!
 柳ヶ瀬商店街の入口でおろしてもらった。
 そこから地図と首っ引きで味噌カツ屋を探す。が、全然見つからず、とうとうお店の閉店20時まであと30分になってしまった。派手な居酒屋前でうんこ座りしている不良グループがいたので、そこで店名を告げて「どういいのか教えろ」と頼んだら、右腕が入れ墨だらけのモヒカンが「あそこだよ」と指を向けた。
 あれれ、今日はやってない、休みだにゃあ。
 私も彼らグループのそばでへたり込んでしまった。
 6人か7人の不良たちが「味噌カツってどこが美味いべ?」などと言いながら話し合ってくれ、私に簡単な道案内をした。
 言われたとおりそのエリアへ行ってみたら、これも閉まっていた。
 こうなったらいったん駅前のホテルまで行こう、チェックインしてから晩メシを探し回ればいい。
 歩いた、歩いた、歩いた。
 が、駅近くまで来たのにホテルの場所がわからない。
 今度はウォーキング中の爺さんに大声で訊いてみた。
 〇〇〇ホテルを知りませんか? どう行ったらいいのか教えてください。
 彼は話し好きらしく、どこから来たのなどと私に尋ねる。
 鎌倉です、と応えたら、「そりゃ縁があるわにゃ、うちの息子が鎌倉に住んでおるでぇ」と。こりゃまた話が長引きそうだ。 
 それからホテルより先に味噌カツ屋を探してくれるのだが、どこも営業が終わっていたり、お休みだったりで、とうとう見つからず。
 ホテル近く、ゆず塩ラーメンの店「一兆家」前で、「ここ、ぼくがたまに食べるラーメン屋です」と。
 ホテル前で別れたのだが、彼がよかったら連絡先を交換しませんか、と私に言う。
 いいですよ。
 で、スマホを取り出したら二人とも楽天モバイルであることがわかって、また話が盛り上がる。
 結局、ホテルにチェックインしたのは午後9時過ぎだった。
 重いリュックを持って歩き回ったので、心身ともぼろぼろ。しかし快い疲れだった。
「一兆家」へ行って、ゆず塩ラーメンではなく、台湾まぜそばを注文。これが絶品で、空きっ腹をひどく刺激する。当たり前だ、ひりひりするほどの辛さだもんで。胃も痙攣しとるもんで。
 すっかりこの地方の方言に染まった夜になった。
 柳ヶ瀬も駅前繁華街も隅々まで歩いた。スマートバンドの歩数は1万6千歩だで、よう歩いたわ、重いリュック持って。
 台湾を周遊したときついぞ台湾まぜそばなんて見なかったが、台湾まぜそばって実在するかどうかはさておき、妙に美味しい。
 私、なんでこの町にいるのだっけ? 
 もはや旅の目的なんか消えてしまい、午前12時を過ぎたあたりでクスリを一粒。窪美澄の短編を10ページくらい読んだところで消灯した。

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