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2017年07月04日00:54

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稲置街道93 銅鐸と狸 出現

外山神社(とやまじんじゃ)の本殿を囲う塀の西隣に自然石を積んだ塚があった。
(写真左)
塚の頂上には銅板葺素木造の祠が2棟並んでいる。
塚上には複数の霊神碑が祀られているので、祠の1棟は御嶽大神、
もう一棟はこの周辺で観てきた御嶽神社によれば白河大権現である可能性が高い。
霊神碑で刻まれている名前が読み取れるものは1基を除いて、
すべてが個人名の霊神碑だったが,1基は「吉祥霊神」とあり,
吉祥天のことなのか、「吉祥」を名乗った人物が存在したのか。

拝殿前から東に延びる,脇参道があるのだが,表参道の舗装が一部なのに対して、
脇参道は拝殿前の脇までコンクリート舗装になっている。
これは拝殿前まで車が入れるようにされているようだ。
この脇参道の入口、拝殿前脇に
「小牧市指定文化財 袈裟襷文銅鐸発掘地」と刻まれた板碑が設置され、
その脇に教育委員会の製作した案内書『銅鐸(北外山出土)』が掲示されていた。

「外山神社の境内から大正四年(1915)に出土した弥生時代後期の青銅製の銅鐸である(写真中)。
 高さ35.9センチメートル、底部の直径18.2センチメートルと比較的小型で、愛知県内出土の銅鐸としては最古の部類)で出土した2例が確認されているのみである。
 鐸身には、袈裟襷文(けさたすきもん)という縦横に交差する帯を用いた文様が見られる。銅鐸としては、本来の吊り下げて打ち鳴らす機能を持つ古い形態のものとされるが、何に使われたものかは不明で謎の祭器といわれている。
 なお、銅鐸は平成19年12月に外山神社から小牧市に寄附され、現在、小牧市歴史館で保管、展示されている。」

葛城山・金剛山麓と,その周辺で出土が多く、記紀にまったく出てこない銅鐸は
物部氏のツールではないかと推測しているのだが、
尾張氏関連の古墳の多いこの地域から出土しているのは
そのことを裏書きしているとみている。

6月中旬 快晴
青山八剱神社から
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外山神社のほぼ北、1.3kmあまりの場所に位置する北外山の三十番神宮に向かった。

フォト

明治期の稲置街道(いなぎかいどう)は掛割町(小牧市)の交差点で
現在の稲置街道(県道102号線)から西側に離れ、5.5mほどの道幅の道となる。
掛割町交差点から稲置街道を860mあまり辿ると右手(東側)に社叢の覆い被さった
石鳥居と背の高い常夜灯が目に入った。

フォト

何と、社頭は西向きだ。
社頭の向かい側に愛車を停めて社頭を撮影しているうちに、
神門前に折り畳み椅子が置かれ、徳利を持った狸が出現した(写真右)
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