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2018年11月04日23:02

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愛知県一宮市佐野遺跡24 有翼の器

赤見國玉神社(あかみくにたまじんじゃ)の拝殿前で
切り妻の妻飾りを見上げて驚いた。
その手の掛け方が、これまで尾張で観てきた多くの神社の中で、
抜きん出て凄かったのだ。

フォト

この拝殿の主棟鬼飾(鬼瓦)は
雲水の中に浮かぶオーラを放つ宝玉のシルエットの中に社名の6文字を

「赤見國
 玉神社」

浮き彫りにした手の込んだものだったのだが、
妻飾りの破風飾り金具と木彫浮き彫り装飾の手の込み方は
それを上回るものだった。
破風板には3点で構成された破風飾金具で構成されていたが、
3点とも皇室を意識した菊花の唐草紋が
浮彫りと、くり貫で装飾されており、
中央頂点の拝み紋は菊花紋、中散紋(なかちらしもん)は向かって右に
菊花の中に「國」文字、左に菊花の中に「玉」文字。
いずれも紋は異例に深く打ち出されている。
ただし、菊花紋はいずれも十四弁菊で皇室の十六八重表菊紋とは異なり、
弁も切っ先が丸くなく、平坦に図案化されている。
それなのに、木口飾金具には
弁の切っ先を丸くした十弁の菊花紋が入っている。
こうした徹底されていないところが、
由緒あるこの神社が式内社でないことに繋がっていると思われる。
そして、もっとも手の掛かっているのが木彫の浮き彫りだった。
拝み紋直下の破風板合掌部には雲海を飛ぶ鶴の姿が装飾されていたのだが、
背景の雲海と鶴の左、右の翼と躰は
別々に彫り出されて組み合わされているようで、
留めてあるピンでも破損したのか、左の翼のパーツが外れかかっていた。

ところで、神殿の入口の中央頭上に有翼のイメージを配置しているのは
ゾロアスター教の寺院と共通している。

フォト

翼は広げていなければならない。
紀元前6世紀にはアケメネス朝ペルシア王家の信奉する宗教となっていた
ゾロアスター教の寺院の場合、翼を持つものは鶴ではなく、
有翼の祭神アフラ・マヅダだが、神殿に装飾される有翼のイメージとしては
西洋では最初のものと言われている。
これが他の宗教や神話に影響を与え、
アッシリアの有翼獣や
キリスト教のケルビムなど、多くのイメージを形成したとされている。
紀元前6世紀というと、『日本書紀』にある日本建国年、紀元前660年より
100年前後、後のことであり、現在に至るまで神殿を始めとする、
多くの“容器”の中央上部に配置されてきた。
あるいは古代イスラエルの聖櫃や平等院のように“容器”の両端上に
1対の有翼のイメージを配置するのも、同じ意味だと思われる。
では、有翼神のイメージはイランから地球全土に広がったのか。
否、アフラ・マヅダよりはるか昔、
すでに縄文土偶の一部には有翼神を造形したものとする説があるのだ。
上記図版内の藤内縄文土偶は
『茅野市縄文ガイドブック』に正規に掲載されている写真で、
この土偶や有名な「縄文のビーナス」には
「山鳥の尾のしだり尾」(by 柿本人麻呂)を差し込む穴が
穿たれているという。
この藤内縄文土偶の後頭部一面には、とぐろを巻いた蛇が造形されており、
山鳥の尾と組み合わされれば、まさにそれは
16世紀アステカの翼を持った蛇ケツァルコアトルに
通底するものでもある。
そして、アフラ・マヅダ像の中には
爬虫類をイメージさせる偶像も存在する。

ところで、赤見國玉神社拝殿の妻飾り浮き彫りだが、
一体彫りではなく、
彫り出されたパーツを組み合わせて立体感を出す手法は、
鶴の下部の雲水に龍や唐獅子牡丹を初めとした浮き彫りにも使用され、
拝殿の下から妻飾りを見上げた時、手の込んだ印象を与えていた(写真中)。
唐獅子牡丹の左右には松に鳩の浮き彫りが装飾され、
それらが乗った虹梁(こうりょう)の唐草模様も、よく見るものより、
深く、くっきりと刻まれていた(写真右)。
虹梁は装飾材ではなく構造材なので、現在では装飾が衰退し、
時に、両端に線彫りで唐草模様がお茶を濁す程度に入れられているものが残っているのを見掛けることがある。
現在ではさらに、単純化が進み、
反りも装飾も無い一般の梁が使用されることがほとんどだ。
そしてこれらの木部はすべて素木のままではなく、防腐効果を狙った
赤丹色に染められていた。
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