昨日は良寛さんの話を書きました。実は今日、同じ話を聞く偶然に会いました。内のケアマネからお父さんが食道ガンに犯され、もう助からないといわれた。親の死を受け入れられない。どう接してよいか等を相談されました。死の心得などをアドバイスしました。で
休みに由緒あるお寺巡りすると、心癒されますね。今日は江戸後期の曹洞宗の名僧、良寛和尚の話をしたいと思います。『災難に逢う時節には災難に逢うがよく候。死ぬ時節には死ぬがよく候これはこれ災難をのがるる妙法にて候』新潟三条の大地震で1500人が亡くな
本当にお経や般若心経を訳すのは大変ですね。『無無明無老死尽(むむみょうむろうしじん)』という言葉があります。無明とは、愚痴、つまり目先に囚われる愚かさをいいます。老死とは、自らの業(ごう)の報いにより悩み苦しむさまをいいます。昔、大根売りの
般若心経に『真実不虚(しんじつふこ)』があります。嘘と偽りが横行するこの世で、確かなものは仏の教えであり、真実で嘘がないという意味です。この言葉には「思いやり」の意味が含まれています。あるお坊さんが諸国を旅していました。日が暮れて来たので、
僕は気分転換する時は、プールや古典を楽しみます。今日は休みで古典を読んでいます。『折たく柴の記』新井白石の伝記に目を通しています。幼少年時代から六代将軍徳川家宣(いえのぶ)を補佐して、家宣の死後退職するまでをつづったもの。その中に「夜に入り
古代インドの修行施設の一つ、祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)でのことです。お釈迦様に弟子のマールンクヤという議論好きな青年がやってきてたたみかけるように問いました。『この宇宙は有限ですか、無限ですか?肉体と霊魂は一つですか、別ですか?人間は死後
私達がよく使う言葉に『わび、さびの精神』があります。その語源を調べてみると、禅僧が山に入って修行をしている。里から遠く離れた山奥で一人修行をしている所へ、客人が訪ねて来てくれました。『こんな山奥の何もないところへお招きしてしまい、本当に申し
連日暑いですね。毎日携帯魔法瓶に氷いれて出勤しています。いつも中味はドクダミ茶と麦茶を入れています。ところで、古代の人も氷を食べていたのですね。日本書紀に土を掘って、氷室を作り真冬の天然氷を貯蔵して、真夏に出して売る氷屋さんがいたといいます
人間関係はストレスがたまります。禅語の一期一会(いちごいちえ)の言葉の本当の意味を説明したいと思います。今のこの出会いは、二度と巡ってこない貴重な縁。一生に一度のこの素晴らしい出会いの機会を大切にしましょう。一人の人と深く付き合いましょうと
今日も仏教から『三毒』の教えを紹介します。これは、欲望や煩悩を毒に例えた教えです。「貪(とん)・瞋(しん)・癡(ち)」の三つです。貪とは、貪(むさぼ)りの心です。何でも欲しがり、ひとつを手に入れてもなお欲望が尽きない心。瞋とは、怒りの感情を
『無苦集滅道(むくしゅうめつどう)』という経文があります。簡単な訳は苦しみも、苦しみの原因も、苦しみのなくなることも、苦しみをなくす方法もない。となります。仏教では苦しみを取り除けない。苦しみから逃れられない。しかし、どう克服するかを教えて
そもそも合掌とは何でしょうか。右手は自分以外の相手を指します。仏様であったり、神様であったり、あるいは目の前にいる他人であったりします。そして、左手は自分自身です。合掌とはこの二つをひとつにするという意味です。自分以外の誰かを敬(うやま)う
『日々是好日(にちにちこれこうじつ)』鎌倉時代や室町時代は戦が絶えなかった。武士たちは、いつ戦が始まるか分からない。明日をも知れぬ命だからこそこの禅の言葉が支持されたようです。嬉しいことがあった日も、嫌なことがあった日も、それは二度とこない
般若心経を読んでいます。『是諸法空相(ぜしょほうくうそう)』という言葉があります。これをいろいろ調べてみました。是諸とはこれらの意味。法とは真実の相(すがた)の意味。空相とはみな空であることの意味。つまり、この世の一切のものの真実の相(すが
夜勤明けて自宅でのんびり寝ていました。目覚めて、古語を訪ねて古典を読んでいたら、胸が痛くなるような和歌に出会いました。『わびぬれば身をうき草の根を絶えて誘ふ水あらばいなむとぞ思ふ』(古今集・小野小町)つらい思いで暮らしているうちに、我が身が