『肩落とし家路につく夜夕星(ゆうづつ)が天路(あまじ)を見よとかげろふ二星』 (小生)仕事がうまく行かず、肩を落として帰る夜、夕星が天女が通るという、天路を見よとの声に見上げると、光輝く星が二つ出合うように近くにいる。元気を出しなさ
竹の竿の先に五色の糸を飾って星に祈ると三年の間に必ず願いが叶うと言われた宮中行事が、江戸の頃庶民の行事として定着した。竹に五色の願いの糸を垂らすだけでしたが、元禄の頃には色紙や短冊に和歌を書いて吊るすようになり、さらに願い事を書くようになり
イエスは日々「み心が天に行われるとおり地にも行われますように」と祈りなさいと教えています。何が神のみ心なのでしょうか。それは毎日の自分の務めを果たすことです。これも一日中神に祈っていることと同じといいます。私はクリスチャンですが書家ですので
テレビでタレントさんのインタビューをみました。中身がないし自分を正当化する話しばかりでした。相手の立場にたってものをいう心くばりが欲しいですね。性格と心の整形でもあれば良いのに。
老子の『水に学べ』の章より「上善(じょうぜん)は水の如(ごと)し」上善とは理想的な生き方のこと。水は丸い器に入れられれば丸くなり、四角い器に入れられれば四角になる。何事も従順で自由自在。あるいはまた、水はすべての生き物に大きな恵みを与えなが
さて、今日の魂の言葉です。「聖なる予言」(ジェームズ・レッドフィールド)の本の中から、私が同感している言葉を紹介したいと思います。宇宙のすべてのものは、エネルギーから成っており、波動の巨大な大海であるエネルギーは無数の存在へと形を変え、あな
「花は地下の闇と戦って、はじめて地上の光を浴びる。」人も同じ、心の闇と戦ってはじめて太陽の陽を浴びる。花と同じく誰もが地下の闇から這い上がって芽を出していることを知らなくてはならない。花を見てお疲れ様!頑張ったねと声をかけましょう。そして、
私の心に響いた言葉は『若い女は美しい、しかし老いた女はもっと美しい。』(ホイットマン・草の葉の美女の一節より)『冠は心に在る。頭にはない。ダイヤモンドやインド石で飾ってもなければ目に見えもしない。わたしのは「満足」という冠だ!』(シェクース
「杞憂(きゆう)」という言葉があります。余計な心配をすること。取り越し苦労をすることをいいます。昔、中国の周の時代に杞の国という小国がありました。大変気の小さい男がいて、天地がいつひっくり返るかと、そればかりを考えて恐怖にとりつかれて、物も
大和物語より平安前期の歌人に「素性(そせい)法師」がいます。この人は小野小町の恋人と言われている僧正遍昭の子供です。父は出家して花山という寺に住んでいました。父に会いに寺を訪ねたところ、父から「法師の子は法師になるのがいい」と言われて、無理
昨日お年寄りの女性が「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理(ことわり)をあらわす。おごれる人も久しからず、只春の夜の夢のごとし。たけき者も遂には滅びぬ、ひとえに風の前の塵に同じ。」と朗読したのです。驚きました。
「身口意(しんくい)」という言葉があります。身とは行動。口とは言葉。意とは思考(知恵)。自分の持っているものを他者の為に出すこと。いわゆる他者支援のことです。ボランティアとか、お布施ともいいます。人を助けることはお金だけではないのです。私は
24歳の若さで亡くなった『たけくらべ』などの小説家樋口一葉は「さをのしづく」で『行水(ゆくみず)にも淵瀬(ふちせ)あり、人の世に窮達(きゅうたつ)なからめやは』(川にも緩やかな場所(淵)や流れの急な場所(瀬)があるのだから、人生にも、うまくいくときもあ
「道に迷うことこそ道を知ることだ。」(東アフリカの諺)「人生に迷うことこそ人生を知ることだ。迷わぬ者に悟りはない。」(自戒の言葉)
子どもたちのようにならない限り、決して天の御国(みくに)には入れません。だから、この子どものように自分を低くする者が、天の御国で一番偉い人です。(聖書マタイ18.3-4)納得する言葉です。私は偉ぶれないし精神的にも子どもですから安心ですね。(笑)
松尾芭蕉の奥の細道に「雨後の晴色また頼もしきとあまのとま屋に膝を入れて雨の晴るるを待つ」という句があります。梅雨時の雨上がりの晴れた空がまた楽しみだと思って、漁師の小屋に立ち寄って、雨の晴れるのを待つという意味です。晴色とは雨がやんで晴れ上
松尾芭蕉の奥の細道に「雨後の晴色また頼もしきとあまのとま屋に膝を入れて雨の晴るるを待つ」という句があります。梅雨時の雨上がりの晴れた空がまた楽しみだと思って、漁師の小屋に立ち寄って、雨の晴れるのを待つという意味です。晴色とは雨がやんで晴れ上
「生物のなかで人間だけが笑う。人間のなかでも、賢い者ほどよく笑う。神の前で泣き、人の前で笑え。自分を笑える者は、他人に笑われない。表情は最悪の密告者である。」があります。笑顔を大切にしましょう。
宝塚歌劇団の舞台裏の張り紙『ブス25箇条』があるのを知っていますか。1笑顔がない2お礼を言わない3おいしいと言わない4目が輝いていない5精気がない6いつも口がへの字の形をしている7自信がない8希望や信念がない9自分がブスであることを知らない10声が小さ
お年寄りで毎朝唇に紅をさし、お化粧をしている方がいます。亡くなったご主人が喜ぶからと。そこで思い出すのが、源氏物語の中に何度も「心化粧(こころげそう)」という言葉が出て来ます。愛する人に会うための心の準備をする、嘘をつかない、欲張らない、最
いろいろ相談されたり、気になる人について。人の批判ばかりする人がいます。欠点を見つけては、皆に聞こえるように大声で指摘している。自分を大きく見せようとしているのでしょうか。または、そう言われて育ってきたたのでしょうか。言いたければ、こっそり
私達がこの世に生まれてきたのは、魂を浄化するためといわれています。私達の魂は我欲という煩悩で汚れています(特に私は)。その為に、人生が辛くなったり病気になったりします。しかし、病気や不幸をきっかけに自分の問題に気づき、我欲を手放すことができ
「この世で一番の奇跡」(オグ・マンディーノ)を読んでいます。この本の中から気に入った言葉を抜き出して紹介します。「もし世界から50歳以上の人たちの経験と判断をすべて取り除いてしまったら、世界を動かす脳も才能も残らないだろう」(ヘンリー・フォー
「悟りとは平気で死ぬことではない。平気で生きていくことだ。」 (正岡子規)正岡子規は日清戦争で脊椎カリエスとなり寝たきりのまま創作活動を続けました。生きる覚悟が感じられる言葉です。グループの中に病と戦っている貴方におくります。
「優しい言葉優しい笑顔優しい行為優しさとは人を憂(うれ)えること心配したり悲しんだりする親心。」いつまでもそういう人になりたい。
「主よわたしたちの日ごとの糧(かて)を今日もお与えください。」 アーメン糧とは人生の旅路に不可欠な生きるための気力や希望を指しています。皆様にも来ますように。
「かぎりなき思ひのままに夜も来む夢ぢをさへに人はとがめじ」(小野小町)かぎりのない思いにまかせて、心の灯火をあてに、せめて夜でも会いに行こう。夢の中で行き交う路までは、人はとがめないでしょうから。思ひの「ひ」は「火」を掛けている。古代では好