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2015年11月10日23:18

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天高市神社

10時6分に天高市神社に到着。
新興住宅街の中にあった。
というより、新興住宅地が後から出来たのでしょうが。

本神社の由緒沿革については、詳かではないが、『三代実録』によれば、第56代清和天皇の御代、貞観元年(859年)正月27日に、大和国天高市神に従五位上の神階を授け奉るとの記事がある。
又、延喜の制により名神大社に列せられ、月次・新嘗の官幣に預っており、古くより朝野の信仰も篤く格式の高い神社であった。
しかし星霜うつり、中世から江戸期の頃に至って本神社は、八幡社と称したもののようである。
現在の境内に、安永6年(1777年)当村中より奉納の石燈篭に八幡宮と銘したものが二基ある。
明治40年9月告示により指定村社となる。
祭神は、事代主命一柱を祭祀してきたが、後世になり品陀別命・息長帯姫・比売神の八幡三柱を合祀して四柱とし、尊崇してきたもののようである。
なお、本神社の境内地は、古くは一町歩余と伝えられるが、明治初年には、一千余坪で第一種官有地となった。
さらに、終戦後、宗教法人法の制定により上記官有地は昭和25年6月に宗教法人天高市神社に対し無償譲与となり現在に至る。
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