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2015年11月14日10:35

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入鹿神社2

入鹿神社は廃寺真言宗高野山派仏起山普賢寺の東南部の一段高い所に西に向かって建ち、もとは同寺の鎮守社であったと伝えられる。
祭神は素盞鳴尊と蘇我入鹿の両柱を合祀している。
素盞鳴命と蘇我入鹿の木造坐像を神体とする。
現在の橿原市周辺は蘇我氏ゆかりの地であり、「蘇我」、「曽我」といった地名も残る。小綱町の隣の曽我町には、蘇我馬子が創建した宗我都比古神社があり、蘇我氏の始祖を祀っている。
祭神が素盞鳴尊のため、かっては印度舎衛国にあった祇園精舎の守護神の習合として牛頭天王社とも称された。
当社の社名について明治時代に、皇国史観に基づいて逆臣である蘇我入鹿を神として祀るのは都合が悪いとして、祭神をスサノオに、社名を地名からとった「小綱神社」に改めるように政府から言われたが、地元住民はそれを拒んだという。
明治二十六年十二月十日の氏子総代より奈良県知事宛願書によると、明治十二年の「神社明細帳」に入鹿神社と届け出ていた所、当社は往古より素戔鳴命を合祀していたのだから牛頭天王社を差おいて入鹿神社と唱えるのは不都合との係官よりのお達しに付、入鹿神社との届出を牛頭天王に改めたいとの願書が出されている。
「宗教法人法による届出書」では元の入鹿神社を社名に、二神合祀の神社と届出ている。
日本書紀に基づいた「蘇我氏逆臣説」が日本史に通説となっている今に至るまで、地元の人々から崇敬を集めている。
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