努力0の世界とは私がないゆえに内も外もない世界ですつまり内側に集中することはなく外側というものもない自然な存在ですそれ(「汝それなり」)を存在意識、純粋意識とか、ナチュラルステート、サハジャ(自然状態)とか、実在する世界といいます
本日の湧いた言葉(完全なる自由)真実は無条件で在り、努力0ですもし真実のために努力は必要だというならその真実をこれからも維持するために永遠に努力しつづけなければならないということになりますそれは無条件ではなく幻想世界へのこだわりだということ
本日の湧いた言葉(意識はなぜ退屈なのか)よくノンデュアリティでは意識(今ここ)が悟りだといわれていますがもしそれが顕在意識を意味しているならば誤りだといえます意識が退屈におもえるのは好奇心にもとづいているからです最初に好奇心(IAM アイアム)
真の祈りはつねに在るものへのためにある自然精神統一(自然の記憶により精神を癒し統一すること)癒され平安(奇跡)がこの世界に延長することになります精神(マインド)の枠組みは依然としてまだ残っていても、平安というエネルギーが延長しているのです自
世界の真の終焉とは努力のある観照や観察はいぜんとしてリラックスしていないために二元の世界である(そのようなタイプの観照はまだ半二元であるといえる)現実存在の自然により癒されてリラックスしているときは幻想の世界はないかのように生きている私と世
本日の湧いた言葉言葉は はかない(無常)、思考は はかない(無常)実在をさし示すときにも、言葉、思考の無常さからはのがれられないのであるがさし示す実在そのものが無常ではないさて 本日も湧いた言葉をかいてみよう真実からみれば、世界の価値はフラ
湧いた言葉自然から(のオートマチック)存在 無努力心も(投影された身体や)物世界もない意識(気づき)というものにもこだわっていない自然さ が常にある空(くう) 自然なる愛である