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2023年12月03日05:38

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偽りの世界について

本日の湧いた言葉

言葉は はかない(無常)、思考は はかない(無常)

実在をさし示すときにも、言葉、思考の無常さからはのがれられないのであるが
さし示す実在そのものが無常ではない

さて 本日も湧いた言葉をかいてみよう

真実からみれば、世界の価値はフラットである
価値は意味といいかえてもいいが

真実からみれば、世界は平安である
それが意味(実在)である

たとえば存在いしき(実在)から想像されている私と世界の意味は
真実からみればいぜんとして存在いしきでしかない

それ以外の価値(意味)は妄想だったからである

幻想の意味(価値)は、0ではなく
いぜんとして存在いしき
である

ほんとうは何も世界には起きていない
存在いしきの量(砂場の量)は変わることがない

それはしあわせ(平安)の量は変わることがなく
ほんとうには
もともとこれ以上しあわせになることもありえない

したがって想像とは徒労であり(よりしあわせになるための想像などはなく)
めんどくさいことは
じつはやはりめんどくさいだけのものであった
ということになる
したがって人生のいかなる挫折も三日坊主も
じつは罪悪感を感じる必要はなかったのであり
それはおきて当然のことである

さて
奇跡講座では
実在において神と被造物キリスト
という思考でかいている(方便ではある)

ただこれは
幻想世界のキリスト教的発想と同じであり
活動(誤創造、想像)世界
への盲信をもたらすことにもなりかねない

キリスト教やスピリチュアルでは
パートナーが重要視されることがあるが
しかしながら
個の協力ということ自体が
活動の世界である
そして活動の世界を信じている私たち
がいくらパートナーを組もう(二人やチームなど)が
私と私は協力をしてもこれまた活動性(想像)
つまり自我の力動、つまり想像活動の世界である

二人組みの彼らのSEXが新たな個(子孫)をつくりだしていくのも
自我の力動世界である

そしてたとえば祝い事(結婚、新築)のときに
人々は花束をプレゼントするが

花とは何かというと人間の生の活動のための
性器にあたる
植物は繁殖期に咲くものである
その花の香りが好きな人々は
性器の香りが好きな、活動の自我世界の人々である

花の香りはきもちわるくて、うっ
、とする人々もいる(幻想の生への好奇心ではなく、罪悪感の投影があらわれる場合には)

世界の欺瞞(幻想活動性)はこのようみつかる

慈善活動やボランティアもまた
活動(自我の活動世界の維持であり、自我は愛の活動、そして奉仕者と自称している。たとえば、アクエリアスのニューエイジの思想では
ホワイトブラザーフッド、白色同胞団の存在
たちがメンターである)

そこには 自我世界の進化幻想があるのであり不変はない(湧く湧く、ワクワク、枠わく、の個の協力の自我世界である)

真実(鎮魂、癒し)
からの見方では、真の慈善とは
罪悪感のうちに死んでいくのを防止し、癒しがおきるためにおこなわれる慈善は、
平安、休息という真実へのおだやかな移行のために必要とされているのであって
ただ、幻想世界を維持したり、文明を進化させるためではない

というのが
ノンデュアリティから湧いてくる感想でした
^_^








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