オートマチックとは幻想をつくったのは幻想ではない幻想をなくすのも幻想ではないコントロールもない源は本性にしたがっているだけであるオートマチック
おはようございます。本日湧いた言葉ほんとうのしあわせは、自分自身であること(シンプル)こうあるべき、いらない。それは「力み」である。無我とか余計なことを考えるよりも、よほど真理なのである。
別バージョン説明(存在意識または愛で説明)もあります。潜在的な存在意識顕在的な存在意識顕在的な存在意識のなかにあるすべてをすべて愛しているということですこれがストレートでかんたんな愛です愛はすべてです存在意識とはじつは愛に癒された意識(平安
意識のなかの意識的努力(つまり意識上の自我)によって識別される五感やナレーション(思考)や空想思考(スピリチュアル概念もふくめ)それらは意識のなかにあるだけです。小悟(スクリーン)です。そのスクリーンである意識は無意識的な努力であるわたしか
幸福の鐘は無音から波動のようにあらわれる幻想鳴らす者も波動も聞く者もいない幸福の鐘は無音からいや意識や探求エネルギーさえない静寂さ自然からきていたのだ
無常というにせもの幻想の世界は安定のなかに不安定があり不安定のなかに安定があるかのようだたとえば家の錆(さ)びつつある柱のようなものまるで幻想のこころのようではないか
本日の湧いた言葉弦や弓は張らなければ音を奏でないしたがって努力である音楽は幻想であるトランペットも努力して吹かなければ鳴ることはないオーケストラも幻想でしかないセッションを要求してくるような教えもまた愚かである
日常世界では私が手段をつかい目標を果たそうとする(心理メソッドもまたそうである)そして物理現象では因が縁により果となるこういった世界は幻想であり実在していないのだ
死後の世界は評価される世界であるという誤った常識があるだれが評価するのかエゴのあらわれである閻魔(じつは自分)がするのであるしかしさいしょの根源的なカルマとはなんなのかそれが空想でしかない私なのであるそれゆえに私(さいしょのカルマ)はなかっ
ノンデュアリティオートマチックとは信心銘から一なるものをしらなければ静(静寂)動(活動)、正否(真理と非真理)ともにその自由な働きを失う一なるものとは概念でも意識でもなく、探究エネルギー(わたし)以前の深い自然の記憶(平安)(私が)心の活動
LINEでのオープンチャット「ノンデュアリティオートマチック」https://line.me/ti/g2/-gkB93XPibgRJbAmAJe9tH3z5wmybKttpiE6hA?utm_source=invitation&utm_medium=link_copy&utm_campaign=default
「非らず。非らず」 (オープン・シークレット 開かれた秘教) 彼はいった。 ああ、実に良き人に対する愛のために良き人がいとしいのではない。 アートマンにたいする愛のために良き人はいとしいのだ。 ああ、実に妻に対する愛のために妻がいとしいの
本日湧いた言葉 (前のメッセージがふたたび湧いた) すでに自然さ(一元)があるのに なぜ心だとか物(人)だとかいうのだろうか これが分離した心の投影の様子(二元状態) であり どちらも不自然な誤りである このメッセージが昨日も湧いたが パパジの本の
引き寄せの法則についての結末引き寄せの法則は鏡の法則であり与えたものは返ってくるということですなぜかというと鏡(心)や、そこに写ることがらは実在していないからです実在しないから与えたものは返ってくるほかないのですもっといえば心、は実在しない
スタンダードのたいせつさわたくしの場合はあえていうなら自然(ナチュラル)愛ではない情熱ワクワクでもないわたくしはバシャールの情熱(ワクワク)は性に合わないそんなものはコインの表裏であり罪悪感が裏であるそして裏が真実にちかい反省し、すべては妄
本日の湧いた言葉(小悟について) いしきはひとつしかないのに ?心 がいて 識別、や判断もしているというのはすべて妄想 だ。 起きてるようにみえて、なにもおきてはいない これがノンデュアリティ いしきはひとつしかないため 識別は無意味になっているた
スピリチュアルの本では方便として、信念、思考を与えられるほんらい在るがままの記憶(平安)のために信念、思考体系は必要ないノーマインドの記憶は努力が必要ないからであるしかしその沈黙(平安)の癒しがわからないマインドや自我への信念がある場合方便