流行のあるノンデュアリティへの感想過去も幻想、未来も幻想だから今を楽しもうというのはデタラメ(偽)ノンデュアリティである過去も未来も幻想なら今の対象も幻想です現実想像を楽しもうはばかげた誤解です今のなかに、今のエネルギーをつかって妄想をして
本日湧いてくる言葉この世の愛は私たちという愛にすぎない(あるいは、私たちや物理的な自然における愛である)どちらも活動の現実化(エゴ)であるそれは無条件ではないため裏面には憎しみが控えている特殊(私)の愛には目的物があるそれゆえに反キリストで
ナチュラルスピリット(自然)の福音真実(実在)は永遠であるそのため探す必要がないいつも今あるからである真実(実在)は普遍であるそのため探す必要はないここにあるからである目的地(やいつか)、そしてそれへのプロセスがあるという私は非実在なのであ
永遠の幸せにかたちはないかたちあるものは くずれゆくからだ幸せでありたいならそれを求めることになるかもしれないしかしかたちなきものを 追い求めることはできないだとすればそれはすでに在るにちがいない
落ち込んだとき(罪悪感)未来の人生が不安になる場合不安なのは私自体であって未来の人生の不安はそれを投影するにすぎない在るがままであるという永遠の今ここには問題がない(実在していない)
幻想の世界は有難いので(わざわざ空想だから有るのが難しい、という意味)だから感謝の関係そしてめんどくさいという罪悪感の関係でもありますハタをラクにするのが働くという意味があるそうですが他者をラクして自分が忙しいプラスマイナス0で無意味な遊び
この世界が幻想なワケすべての不信は自己不信である私が幻想だから永遠平和とは ただ在ることでありすでにある心を開くとは、夢の活動ではなくて真のハート=在るがままの記憶であるすべての幻想の起点は自分であり自分が虚ろ(空想)なので何をしても空虚で
瞬間において永遠である偽の愛ではなく、今幸せで在ること愛とは波動だろうか?いや波動とは変化であり、マインドである真の愛は、マインドが与えあうことではなくただ静かである幸福が実在であるただ今幸福で在れば、達成すべきことは在り得ず、願いや計画に
ダリルアンカさんの小説でもヒロインのウィラはビッグフッド(猿人が宇宙人による遺伝子操作によりホモ・サピエンスに進化するのではなく猿人からさらに自然に進化してアセンションした存在もう一つの世界線、平行宇宙にいる生物。平行宇宙を移動できるために
Earthgypsy(アースジプシー)という本をよみおわりました。著者がペルーのシャーマンの薬物により体験したことはイエスの奇跡講座について解説しているゲイリーレナードさんの本「神の使者」の存在の秘密という章にかかれている形而上レベルにある巨大なもし
安室 奈美恵さん (わたくしとおなじ1977年生まれ 映画ちはやふる 結び 劇場公開同年2018年に引退する)映画ちはやふる 結び The Meaning Of UsMusic Video https://youtu.be/ELfm4Vp0qug
自我とはすでにある安らぎ非集中を無視して集中(私という収縮 肉体のなかにあるかんじ)から何かをしていく衝動(オートマチックにおきていること)統合に疲れてしまったあなたへhttps://youtu.be/BYoEBJzop6M
真の実在は すでに在る(自然さ ナチュラルスピリット) であり 幻想は 自我であり、 それは行き帰り願望の ワクワクと罪悪感(憎しみ、鬱) でしかなく オートマチックな動きとなっています この世界は複雑にみえても 結局この力動でしかなく 自我認識は五
自我のストーリーには宇宙や身体を投影することにより五感爽快感、痛みジャッジ(状況を現実判断にしたり、価値判断をすること、高評価、低評価)などがあります流行のノンデュアリティでは後者にしか気づいてませんがそうではなくじつは前者もすでに自我の範
自我は実在である無条件の自然(ただ在ること)ではなく空想上の存在であるためワクワクや罪悪感をもっていますがその両面感情は基盤である自然の上に湧いているだけなのでどちらの両面感情が湧いていても大丈夫なのですただ癒されるままにワクワク(ワクワク
どうやって自分自身を愛するというのだろう?じつは夢の活動であり、二元である私は私を愛することにする つまり私の発生であるそして自分や他者を愛する(信ずる 信じる)という夢がつづくことになる愛するは幻想である(もし現実にするなら無条件の存在を
真理の反映としてのホログラムマインド本質なんてない(あらためて探しても無意味)すでにこれがそう正確にいえば、それ(源)の反映がすでにこれ〜。これがわからないと観念的な無我でしかない無を求めることになるだけ(ないけどね)。
本日湧いた言葉執の字は、かたちがないほろびない幸せを「」でくくる丸想像をすると、想像上の苦しみ、私になるという意味かもしれませんね。そして私はワクワク存在である面と無条件を否定した罪悪感というウラ感情があるため(裏面)があるため裏面にきづく
今日はお昼からの透析の送迎のため朝起きたら昨夜の日曜録画していた地上波の新しい連続ドラマ「日曜の夜ぐらいは」を早朝に鑑賞いたしました。なぜ録画したかというとグレースの履歴というドラマと同じ時間帯だったからでした。今朝「日曜の夜ぐらいは」とい