本日の湧いた言葉
(意識はなぜ退屈なのか)
よくノンデュアリティでは
意識(今ここ)が悟りだといわれていますが
もしそれが顕在意識を意味しているならば
誤りだといえます
意識が退屈におもえるのは
好奇心にもとづいているからです
最初に好奇心(IAM アイアム)
が
ナチュラルスピリットから
想像としてあらわれ
好奇心(探究心)の対象として意識をつくりだします
そうしておいて
好奇心を現実にしたいがために
自我(ナチュラルスピリットからの分離を現実にする信念)
を意識上につくりだします
形而上のレベルでは
その自我は対象として神をつくり
そしてその神は幻想の多次元宇宙(投影世界)
を誤創造していきます
(好奇心と罪悪感の世界 天界〜地獄界)
したがって形而上の
意識の投影である
顕在意識は
好奇心のあとにくる意識という幻想
の
反映だということです
その意識を永遠の今ここということはいえず
好奇心のあとにあるために
このままでは退屈だ
という顕在意識になるのです
そして真の癒し(好奇心よりも以前のナチュラルスピリットである自然の記憶、平安さ)
を否定するなら
自我と同一化することになるでしょう
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