mixiユーザー(id:271631)

2015年05月31日23:57

504 view

椅子取りゲーム と 全員同時の幸福

小学校の頃から、学校を買い取り、そこで好きな者同士や親の居ない子を引き取り、好きに暮らしたいと言う夢を持っていた。

今、親になって、たったふたりの娘に必死になっていた親では、そんな大層な事はとても出来ないが、たったふたりの娘はなんとかかんとかすくすく育ってくれている。

未だ25歳前後、若い甥が離婚し、4歳と1歳の女の子を23歳元妻が引き取った。

23歳元妻は途轍もなく混乱している。
うちで晩飯に連れて行ってやったり、嫁さんが朝保育園に連れて行ってやったりしているも、まあ、大パニックである。
ぼくが見るに、離婚して一月も経っていないが、ノイローゼだな。
自覚も無い。

はっきり言って小学校の夢ではないが、今、その子たちを引き取り育ててやりたいくらいだ。
その元妻の子もうちに来てくれて良いくらいだ。
ぼくの嫁さん二号にさせたいくらいだ。
安心を与えたい、と言う意で。
今ならそれが出来る。
その様に嫁さんにも話している。
もちろん、ちゃんと相手が見つかれば出て行けば良い。

けれどもなんでそれがいけない事なのかわからない。
こう言った事は、今出来る者が出来る事をすれば良いだけの話にならない。
納得の行かない者や嫉妬や複雑にしたい者が現れる。
基本、人間はすべての人間が幸せになる事を望んでいない。
口ではなんとでも言うが、他人よりも、幸せでありたいのが人間である限り、全員幸福の道は閉ざされている。
もし全員同時の幸福を願うのであれば、自分の必要以上の幸福をまず捨てる事だ。

けれどもこの場合、自分の夫、自分の妻、と言う限定を捨てなければならない。
それが嫌なら、今出来る者が出来る事をしてしまうのはアウト。
出来る事でもしてはいけない制約がこの社会には存在している。

独り身の人間がすれば良いと言う話であるなら、
「今は居ないが、出来る者が何処かに居るだろうから、出来る者が現れるのを待つか探すかして幸福になれば良い」
と言う全員幸福論になる、何処にも居なかったらなれない事は考えずに、だ。

そんなのあるかい。

仮に、強行しようとすると「なら自分(本妻)は出て行く、離婚する」と言う話になる。
これがこの国の自然だろう。
つまり、やはり全員同時の幸福は起こらない。

そこには「なんで自分がやらなければならないの」と言う思いがある。
ちなみにぼくは「誰がやらずとも自分がやれば良い」と言う思いがある。
その場に他に誰もやらないなら、自分がやれば済む事だ。
それを「なんでお前がやらなければならない」と言う人間と居た場合、その者とは離れなければならない。
が、この場合は、ぼくから嫁さんが離れたなら即座にこの嫁さん二号が誕生する事になる。

「椅子取りゲーム」は、ゲームをしたくて作られたのではなく、既に存在していて、わざわざ「椅子」で再現しているだけのゲームだね。

この社会には、幸福と言う椅子は、全員分は存在しない。
全員分の椅子を作ろうとすると、否定、拒絶、拒否する者が現れる。
それでも作ろうとする。
争いが生まれる。
この争いを少なくし、幸せにしたいのに、争いが生まれる事をしなければならない。
その争いを求めているのが、他人よりも幸福でありたい人間だ。
それも、時と場合を選ばずにそうありたい人間。
なんでも他人よりも良くありたいのだ。

これがあったから人間は此処まで来れたのだろうけれど。
目の前に酷い状態の人間が居ても、自分だけが損なわれる可能性が見えると、何もしなくなる。

では、そんな人間を切り捨てれば良い。
と言うのも、繰り返すが、それでは同じ人間を生み出すだけなのだ。
同時にクリアしなければならない。

ぼくが見ず、誰も傷つかず、途方に暮れた母子を安心させ、暮らしていく事が出来、母子家庭の負担はあるだろうけれども、それ以上の負担をさせない、はっきり言えば、無理心中や、わけのわからない人間につけ込ませない環境の提供。

うちは、うちを含め、甥に血縁する家族が3家族ある。
今、その3家族で面倒を見ようと言っている。
もちろん、血縁は甥であり、子を引き取った元妻の血縁ではない。
けれども出来る事なんだ。
出来る出来ないに、血縁も糞も無い。
が、出来る事をしたがらない。
自分はやりたくない。
また、出来る事をやる者も気に入らない、もしくは関わりたくないし、身内に居て欲しくない。

この社会はそんな人間が8割を占めていて、そんな人間がまともなのである。
ちなみに、残りの1割は善人であり、残りの1割は悪人であり、この2割は場合によってどちらにも転ぶ存在だ。
けれども8割の人間は、どちらにも転ばない。
常に8割。

余談だけれど、事が動く時と言うのは、てんでバラバラに居たこの2割が、集合するのだろうな。
そして同じ方向を向く。

ぼくが引き取る事が出来ない事であるなら、出来る事をしていく。
晩飯に連れて行ってやったり、嫁さんが保育園の送り迎えをする。
ぼくが出来ると思っている事は過信で、それくらいしか出来ない事なのかもしれない。

とは全く思っていないが。

■年間23万人の子供の親が離婚…子供の幸せを第一に考える本出版
(産経新聞 - 05月31日 15:49)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=133&from=diary&id=3443325

幸せになってもらいたいけれども、もっと、こうはなってほしくないんだよ。



3 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2015年05月>
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
31