この絵は僕が小さい頃からいつもうちに飾られてあったもの。正確にいえば絵の写真なのだが、かなり大きく引き伸ばされてあり、仰々しい額縁に入っていた。よくよく見れば不気味な絵のような気もするが、小さい頃から見慣れているせいか、普通の感性で見てどの
今どきはラーメン屋のBGMにジャズが流れているらしい。ラーメン屋とジャズというのはどう考えてもミスマッチとしか思えないのだが、僕はラーメン屋に全く行かないのでその相性のほどがよく分からない。頭にタオルを巻いたゴツイ人がイカツイ顔して腕組みして
分かりようが無いことを分かろうとし続けることは、よくよく考えれば馬鹿馬鹿しいことなのだが(何故なら「分かりようが無いこと」だから)、そのプロセスにこそ意味があるのだ。なので途中で「信じる(盲信・信仰)」という罠に陥ることなく、考え続けなけれ
コンビニに入ったらワムの「ラスト・クリスマス」が流れてて、いよいよクリスマスだなあって気分になったのだが、この「ラスト・クリスマス」って曲を最初に聴いたときにはクリスマス感がゼロだしどうにも好きになれない曲だったのだ。高校生のときだった。そ
3年前に岩波文庫で夏目漱石の「漱石紀行文集」というオムニバスが出て、去年は三島由紀夫の「三島由紀夫紀行文集」が出た。そろそろ川端康成あたりの紀行文集が出ないかなと待っているわけなのだ。紀行文というのは、対象に対する作家の切り口がよく分かって
イマイチだったこと4つ、面白かったこと2つ。新しくなった渋谷パルコに行ってみたのだが、どうも自分にはあまり用が無いような感じかなあと。期待してたWAVEはちっともWAVEじゃないし、ナディッフはきれいなタコシェみたいだし。唯一、ディスクユニオンのレコ
昨日すごい久しぶりに駅前のスーパーに行った。普段はスーパーのレジの行列に並ぶのが嫌なのでコンビニで済ませてしまうのだが、昨日はやむを得ずスーパーに行かなければならなかったのだ。そしたらクリスマスツリーがあってクリスマスソングが流れていた。こ
昨日の夜、寝る前に漫画を読んでてひとりでゲラゲラ笑い、何度も読んでる漫画なのに何故いつも同じところで笑うのだろうかと不思議に思ったすぐあと、いやそれ以前に52歳でこれはどーなのか?と真顔になり、部屋の電気を消して寝た。昔から夜寝るのが怖かった
朝っぱらから立ちくらみでちょっと気を失ってぶっ倒れ、額を思いっきり打って痛いのであった(どこで額を打ったのかはよく分からず)。情けない(笑)。ラグビー選手とかであれば額をぶつけたくらいでは何も感じないもんなんだろうなあ、なんてことを思いなが
頭を使うとカロリーを消費するらしいが(棋士は将棋の試合だけで一日数キロやせるという)、ヘトヘトに疲れているときや具合が物凄く悪いときに難しい本とかややこしい本が読めなくなるのは、脳にそれを読むだけのカロリーの余裕が無いからなのだろうか。吉本
ジャズというのは技術より個性。長い年月の末に生き残っているものは、すべて超個性的な音ばかりだ。上手いだけの音は簡単に消え去っていく。これは芸術全般に言えること。芸術というのは「差」ではなく「違い」なのだ。ここでいう「差」とは技術の巧拙・優劣
川端康成や室生犀星の随筆によく軽井沢の話が出てくるけど、今の軽井沢とは何もかもが違うような気がしてならないのは、街並みの開発ぶりとかそういうこと以前に、どこに行っても中国人の団体客がいるからだろうか。新しい店やショッピングモールが出来たとし
音楽でも小説でも映画でも絵画でも、ちょっと不可解なものや妙に思えるものが後々までずっと心に残ることがある。また、人に関しても何だか変な奴だなと思っていた人に限って後々までずっと覚えているものだ。何故そんなことになるのかといえば、不可解なもの
「私をスキーにつれてって」というクソ映画の見所は最初の方にある原田知世の「バーン!」ってとこだが、そこをピークに映画自体(ストーリーも含めて)テンションがだんだん下がっていくような気がするのは、僕が人間関係のあれこれに興味が無いせいというよ
タモリさんが唯一聴く邦楽ポップスがオザケンだとか。で、そのオザケンのニューアルバムが出るそうな。ボーカル入りのアルバムとしては17年ぶりだとか。シングル曲の歌詞だけ発表されているので早速見てみたのだが、歌詞のこの部分を見て「あのオザケン」が終
金ピカ先生(佐藤忠志先生)が亡くなってしまった。奥さんに逃げられてからすっかり駄目になっていったらしい。あまりにも風貌が変わり過ぎてたので驚いたが、この極端さは、らしいといえばらしいかもしれない。僕は高校生のときに代々木ゼミナール原宿校でこ
どうでもいい話、三題。■セイシュンとアオハル最近では青春をアオハルと読んだりするらしい。たしかに青春(セイシュン)なんていう言葉はとうの昔に恥ずかしい言葉として葬られてしまっているし(すでに80年代には死んでいた)、かといってそれに代わる言葉
僕は小中学生のころ、転校生とまっ先に仲良くなるタイプの人間だった。転校生というのは「よそ者」として入ってくる。僕はそのよそ者の持つ少し変わった部分に興味津々で、小学生の低学年の頃から転校生が入ってくると最初に近づいていって、そして仲良くなる
電車に乗り席に座ると、右どなりの席の小学生(10歳くらい)が「ブラックジャック」を読んでいた。僕は川端康成の文庫本を読んでいた。が、この少年が気になって文章が頭に入って来ない。今どき少年チャンピオンコミックスを電車の中で読む小学生も珍しいだろ
先日の夜、うちのマンションの自転車置き場でコガネムシのようなものがひっくり返ってじたばたしていた。よく見るとコガネムシではなくてセミの幼虫だった。ここには大きな木がいくつかあって、毎年夏になると木にセミの抜け殻がいくつか付いているのだが、こ
ビデオテープをDVDにしてくれるネット店舗で古いVHSのテープを3本ほどDVDにしてもらった。で、そのテープにダビングしてあった「風に吹かれて」(1992年にTBSで夜中にやってた資生堂提供のアウトドア番組)を8回分見た。他にもDVDにして保存しておきたいテー
長引いた梅雨のあとは灼熱地獄の毎日で何やら生きた心地がしないわけだが、今週を乗り越えれば徐々に暑さも収まっていくそうなので、とりあえず我慢の日々なのであった。とはいえ暑いものは暑い。昨日の夜はウォーキング中に頭痛がしてきて足もフラついてきた
絵の具の話変な話だが、日本のアカデミックな画壇は昔から主に「日本画」と「洋画」のふたつに分かれている。基本的に日本画というのは岩絵の具か墨を使ったもので、洋画というのは油絵の具を使った油絵だ。もちろん画風も違っていて、日本画は全般的に地味で
なんかいきなり夏がやってきて、もうすでにバテ気味。ついこの前まで梅雨寒とか言われてたのに何でこんなに急に変わるのか。夜のウォーキングも暑さがキツい。いつも70年代〜80年代の様々なラジオ番組の音源を聞きながらウォーキングしているのだが、あんまり
今や新宿を歩く人の半分近くが外国人観光客のような感じ。そしてそのほとんどが中国人と韓国人だが、日本人と中国人・韓国人の見分けは容易につく。もちろん外見(顔付きやファッション)だけですぐに分かるのだが、それとともに動き方(体の動き、表情の動き
「どうでもいい」を肯定的に言い表すことは出来ないものか。「どうでもいい」を多少詳しく言い換えた「どうであってもいい」は多少肯定的になる。「どのようであってもいい」はもっと肯定的になる。「どのようであってもOK」だとさらに肯定的だ。「どうでもい
地図には必ず東西南北を表すマークがあるけど、このマークを道路にも直接描いてくれないものだろうか。あるいは標識でもいい。これ、昔からずっと思ってたのだが、一向に地面に東西南北マークが描かれることがない。道を歩いているときなどは常に東西南北が頭
数年前に新潮文庫の「O・ヘンリ短編集」(1〜3)が新装版になって表紙から何からすっかり変わったのだが、そのときとりあえず表紙のいい3巻だけ買った。新潮文庫の「O・ヘンリ短編集」(1〜3)は僕が中学生のときによく読んでた本で、これは「新潮文庫の100冊
先日、よく行く大手町の神戸屋ベーカリー・カフェが閉店になってしまった。また、大手町の丸ビル内のお気に入りの本屋も閉店。僕の好きな店はつぎつぎに消えて行く。雑貨屋から本屋、服屋、CDショップ、そしてカフェまで。10年以上通った店から3年くらい通っ