僕は小中学生のころ、転校生とまっ先に仲良くなるタイプの人間だった。転校生というのは「よそ者」として入ってくる。僕はそのよそ者の持つ少し変わった部分に興味津々で、小学生の低学年の頃から転校生が入ってくると最初に近づいていって、そして仲良くなるのだった。
転校生というのは、自分達の周りには無いセンスを持ち合わせているもので、そこがエキセントリックに見えて新鮮に思えたのだろう。じゃんけんの仕方ひとつ取っても地域によって違うものだし、小学生とはいえファッションだって微妙に違うものだ。集団の中に新たに入って来る異邦人を異物と感じる人もいるだろうけど、僕にとっては新しい価値観でもって風通しを良くしてくれるような存在だった。
ところで、転校して来る人もいれば、転校して行ってしまう人もいる。仲の良かった友達が転校して行くのは本当に残念なものだ。どういうわけだか仲の良い友達にかぎって転校して行ってしまう。中でも小学生の頃というのは、転校して行ってしまうと、もうそれまで。たいていはもう二度と会えない。転校して行った人たちは卒業アルバムなどの記録には残っていないから、あやふやなイメージになりそうなものだが、案外鮮明に印象に残っている。不思議なものだ。
宮沢賢治の「風の又三郎」は転校生がやって来てあっという間に去っていく話。ここには転校生の持つ一種独特の異人ぶりがよく描かれていて、読んでいると転校生がやって来たときの妙な高揚感みたいなものを思い出す。また、この話には風の動きと雲の動きがさまざまに描かれる。これは友達が転校して行ってしまった後しばらく経ってからその友達のことを思い出したときの心象風景になんとなく近いものがある。
昔の漫画では学校に転校生がやってきて騒動を巻き起こすというパターンがやたらと多かった。あるひとつの価値観で秩序を保っているところに別の価値観が乱入して化学反応を起こすというのは物語化しやすいのだろう。漫画の主人公はみんな異人なのだ。そう考えると、子供のころから漫画ばかり読んでた僕が転校生に興味津々だったのは結構一貫性のある行動だったのだ。
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