「どうでもいい」を肯定的に言い表すことは出来ないものか。「どうでもいい」を多少詳しく言い換えた「どうであってもいい」は多少肯定的になる。「どのようであってもいい」はもっと肯定的になる。「どのようであってもOK」だとさらに肯定的だ。
「どうでもいい」→「どうであってもいい」→「どのようであってもいい」→「どのようであってもOK」と変わってきたが、これらすべて同じ意味なのに「どうでもいい」はかなり否定的なニュアンスがあり、「どのようであってもOK」はかなり肯定的なニュアンスになる。
「どうでもいい」から「どのようであってもOK」への変化は、単に言葉を詳しく付け加えていっただけにすぎない。詳しく説明していっただけなのに、否定的だったものが肯定的に変化する。これも何だか妙な話だ。
最初の「どうでもいい」の「いい」はそれほど意味があるわけではない。がしかし「どうであってもいい」の「いい」は肯定的な意味合いが強い。なので最後には「いい」が「OK」に置き換えられる。言葉のニュアンスの変遷は、この「いい」が肯定的な扱いに変化していった結果ともいえそうだ。
ところで、最初の「どうでもいい」の「いい」にはそれほど意味があるわけではないのだから、否定的でも肯定的でもないはずだ。にもかかわらず「どうでもいい」に否定的ニュアンスがあるとすれば、犯人は「どうでも」の方ではなかろうかと想像がつく。
また、「いい」は「よい」の口語体であって、実質的には「よい」と同じことだ。で、この「よい」を漢字で書けば「良い」となる。「良い」そのものには肯定的なニュアンスがあるけど、「どうでも良い」となると否定的なニュアンスになる。であるならば、やはり「どうでもいいい」の「どうでも」の方が問題なのではなかろうかと考えた。
しかし、「どうでも」はどう考えても「どうであっても」や「どのようであっても」でしかない。「どうであっても」や「どのようであっても」はそれ自体ニュートラルであって肯定的でも否定的でもない。だけど、「どうでも」にはやや否定的なニュアンスがある。「そんなものに興味ないし」的な、ちょっとどこか投げやりな感じがあるのだ。この投げやり感が、この言葉の否定的ニュアンスの源泉ではなかろうか。
で、最初に戻り、「どうでもいい」を肯定的に言い表そうと思ってどんどん言い換えていった結果「どうであってもOK」になったけど、これはニュアンスが正反対なので、やはり意味が違うのではないか。
とはいえ、「どうでもいい」という言葉を肯定的に使うことだってある。笑顔で「どうでもいい」といえばどことなく肯定的意味合い(「どうであってもいい」寄り)になるのだ。逆に、腐った顔で「どうでもいい」と言うと否定的になる。
ということは、この言葉は発言者の顔の表情によって変化する言葉なのではなかろうか。ということを発見した。「どうでもいい」を肯定的に言い表すには、笑顔で言えばいいのだ。なんというバカバカしい話であろうか。
そんなわけで、こんなどうでもいいことを寝床でずっと考えていたのであった。全く持ってどうでもいい話だ。
ログインしてコメントを確認・投稿する