金ピカ先生(佐藤忠志先生)が亡くなってしまった。奥さんに逃げられてからすっかり駄目になっていったらしい。あまりにも風貌が変わり過ぎてたので驚いたが、この極端さは、らしいといえばらしいかもしれない。
僕は高校生のときに代々木ゼミナール原宿校でこの先生の英語の講義を毎週受けていた。当時はまだ金ピカ先生という芸名は無くて、ただの代ゼミの人気講師だった。僕はそんなに人気のある講師だったとは知らずに受講していたのだが、現役生クラスだったから講義がすぐに取れたようなものの、浪人生向けの講義はすぐにソールドアウトになってしまうために講義はなかなか取れなかったらしい。
あの頃は予備校が熱くて、駿台、代ゼミ、河合塾の3つが特に有名。「生徒の駿台、講師の代ゼミ、机の河合」とよく言われていたものだ。駿台は生徒が優秀で、代ゼミは講師が優秀、河合塾は机が新しくて綺麗、というわけだ。
有名な人気講師もずいぶんいた。たぶん誰でも知ってるところでは、駿台の伊藤和夫。例の「英文解釈教室」を書いた方。代ゼミでは、佐藤忠志先生のほかに、英語の原秀行、古藤晃、青木義巳、そして国語の堀木、漢文の多久、世界史の山村、といったあたりはカリスマ講師として有名だった。他にも有名講師は沢山いたけどさすがにもう覚えていない。
ところで、佐藤忠志先生はあの見た目とは裏腹に、かなり真面目で熱心な授業だった。とはいえ一番最初の講義のときにはさすがにびびった。ヤクザみたいな身なりをして日本刀を持った輩が突然つかつかと大教室に入ってきて教壇に上がったと思ったら、おもむろに日本刀を抜き、大上段に構える。てっきりアブないヤクザがやってきて自分達は人質に取られたのだと咄嗟に思った。僕は気が動転していたのかこのとき先生が何をしゃべってたか何も覚えていない。たぶんほとんどの生徒がそうだったのではなかろうか。
で、日本刀をかざしたあとは普通に授業が始まったのだが(笑)、私語をすると思いっきりチョークが飛んで来る。あの風貌で怒られたらさすがにおっかない。教壇には日本刀が用意してあるし。というわけで生徒たちも命がけだったのだ。授業内容は素晴らしいものだったと記憶している。試験用の裏ワザなるものもいくつか教えてくれた。そして何よりも話が本当に面白かった。
その後、先生は代ゼミから東進スクールへ電撃移籍。そのときからテレビなどにもよく出るようになり、金ピカ先生という芸名になったと記憶している。
そういえば実家に佐藤忠志先生の参考書が残っている。見る機会が無いので(そりゃそうだ)本棚にずっと眠ってるのだが、今度実家に行ったときに少し読んでみよう。で、この本、ネットで調べてみたら紹介してるページがあった。
https://roudai.exblog.jp/16213006/
どうやらこのサイトの方、受験参考書マニアみたいな方のようで・・・。珍しい人もいるもんだ。僕と同世代くらいみたいだが、あの時代の予備校文化はいろいろあって結構すごかったのだ。大学生になっても予備校の有名講師の授業を受けに行くという人も結構いたくらいだし。
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