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2008年11月03日21:15

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「高山辰雄遺作展〜人間の風景」@練馬美術館

私の日本画との出会いは子供の頃父に連れられて行った「日展」だった。その中で、心奪われ、初めて胸に刻んだ画伯の名は、東山魁夷と高山辰雄

東山魁夷の絵は美しく深い青を基調とした風景画なのに対し、高山辰雄の絵はザラザラした砂色の人物画、東山魁夷の作品が観る者を優しく包んでくれる具象画であるのに対し、高山辰雄の作品は観る者と対峙する抽象画。だが、どちらも、美しいばかりの花鳥風月の日本画と違って、深い精神性を湛えていて、子供心に何かを感じ、その何かを知りたくてじっと観ていた。

高山辰雄は昨年鬼籍に入られた。その遺作展が練馬区立美術館で開かれた。

http://www.city.nerima.tokyo.jp/museum/tenji/2008takayama.html

行こう行こうと思いながらなかなか機会を得ず、今日最終日に駆け込みセーフ。
大きな国立美術館と違って、最終日と言っても混雑することなく、ゆっくり観られたのは嬉しかったが、前後期で大幅な展示替えがあって、前期を観られなかったのがなんとも心残り。いや、それだけ素晴らしい展示だったということ。

展示はほぼ年代順になされていたが、「特集展示」が4つあった。
「日月星辰」「「時を描く」「生きる意味を問う人間像」「聖家族」

「日月星辰」は宇宙、自然の中の人間を描くシリーズもの。1973年の「朝」はゴーギャンに触発されたというが、私はゴーギャンよりもずっとずっとずしんと来た。「我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか」「夕」との同時展示は素晴らしい空間だった。

「時を描く」は、花の絵。何故花の絵が「時を描く」なのかというと、時間をかけて描いているうちに植物は成長して姿を変えていく、止まった時を描くのではなく、描くことによって時が繋がっていく、のだという解説。難解すぎてよく意味が分からなかったのだけど、迫真の花の絵に対峙していると、ぴっと身の引き締まる思いがした。

「生きる意味を問う人間像」は62年「出山」と84年「山を行く」と06年「自寫像二〇〇六年」の3点を並べて展示。死の前年に描いた自画像は顔をぼかしてあり、90歳を過ぎても尚生きる意味を問い、もがき続ける姿は、それ故に画伯の高い精神性に胸打たれる作品であった。


今回改めて画伯の絵を見て気付いたこと。
少女の絵が多いのだが、その手指の形がとても美しい。何かをそっと捧げ持っているような手指だったり、そっと招くような形だったり…そこで気付いたこと、この美しい手指の形は仏様の印を結ぶ手と通じていると。そうしてみると、少女の切れ長の眼は仏様のそれと似ていて、清逸な笑みで、俗世の我々を高みに導いてくれるようだ。


子供のころに胸に刻んだ高山辰雄という名。もう新作は観られないけれど、またいつか会いに行きたい。

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