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2026年10月24日07:54

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苅谷剛彦『不平等と教育』(中公新書)を読みました

苅谷剛彦『不平等と教育』(中公新書)を読みました。
著者は、上智大学特任教授、英国オックスフォード大学名誉教授であり、まずは、本邦でもっとも権威ある、というか、大御所的な教育学者のおひとりだと思います。
本書では、タイトルに正面から答えず、というと誤解を持たれそうなのですが、まずは用語の点から攻めて、最終的にはタイトルに対して正面から回答をしようと試みているように私には見えます。しかも、かなり学術的にも高度な内容です。
私の専門である経済に加えて、教育と医療については、国民すべてが何らかの関わりを持ちますので、学術的な水準もへったくれもなく、俗説めいた議論がなされる場合が少なくありませんが、本書は用語の攻め口から始めているとはいえ本格的です。その点を考慮してか、各章の最後には課題が箇条書きで列挙されていて、各章の議論をサマライズしています。
まず、第1章では、著者の有名な著作『大衆教育社会のゆくえ』について言及され、第2章と第3章でその大衆について議論しています。ただ、その前に、私としては、第1章の最後の方にある21世紀の格差議論の経済的背景にも注目しておきたいと思います。すなわち、戦後復興→高度成長→一億総中流→バブルとバブル崩壊→格差、という流れです。
その上で、私は第2章と第3章の大衆、というか、「大衆」という用語に関する議論は、まあ、私の理解が進まないだけかもしれないと留保しつつ、それほど重要ではないと考えますので飛ばします。用語として、まず、opportunity と機会については、日本語の「機会」がかなりニュートラルな用語であるのに対して、英国のニューレイバーなどを引きつつ、英語の opportunity は日本語の「機会」よりももっと、「出世のための機会」という色彩が強い、と主張しています。ですから、教育の機会というのは立身出世のための機会をもたらす、ということです。
そして、本書のタイトルにあるように、不平等はネガな含意を持つ一方で、日本では格差と呼ばれている、という点も強調されます。同様の点が、階級と階層にも当てはまる、という主張です。そして、日本では立身出世のためには、教育ではなく、その役割は試験に取って代わられている、と強調しています。大学の入学試験とか、その昔の私が受けたころの公務員試験とかのイメージです。メリトクラシーに対する疑問にも言及されています。最後に、言葉の力を鍛え直す重要性が力説されています。
私にはとても興味深い読書でした。ただ、言葉を正しく使えば教育により不平等が是正されるのか、といわれれば不明としかいいようがありません。他方で、21世紀に入ってかつての「一億総中流」から格差の時代になり、貧困や格差の是正のためには教育一般ではなく、私は高等教育=大学教育が重要だろうと考えています。そのための力になる読書でした。

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