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2026年09月26日07:36

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河内春人『継体天皇』(中公新書)を読みました

河内春人『継体天皇』(中公新書)を読みました。
著者は、関東学院大学経済学部教授だそうで、私と同業者かもしれないと思うのですが、ご専門は日本・東アジア古代史だそうですので、少し違うかもしれません。
本書はタイトル通りであり、継体天皇について歴史的な議論を展開しています。その昔に流行って、今ではそれほど見向きもされない征服王朝説なんかでは、大陸から北陸を通って騎馬民族がヤマト朝廷を征服した、なんてのもあり、継体天皇がそれに擬されることもあったやに聞き及びましたが、今では制服王朝説もそれほど現実的ではないと考えられるようになっているようです。
専門外の私からすれば、継体天皇は応神天皇や仁徳天皇からの皇統が武烈天皇で途切れたため、北陸で大伴金村が応神五世孫を見つけた、というのが記紀の記述になっている、という程度の知識しかありません。この継体天皇のころの5世紀は、本書でも言及されているように、雄略天皇は実在しなかった、とか、武烈天皇が暴虐の王だったとか、いろいろとどこまで信じていいか不明なナラティブがあります。
というのも、本書で解説しているように、6世紀からはそれなりの歴史があって、記紀も信用できますが、4世紀より前の記紀はまったく信頼が置けず、神話の世界も多く入り混じっていますので、当時の世界的な大先進国である中国の歴史書に頼る部分が多くなります。他方、本書や倭の五王の時期である5世紀は中国の歴史書で日本が取り上げられることが少なく、記紀もそれほど信頼できない、という端境期のような時期だということです。
いずれにせよ、詳細は読んでいただくしかありませんが、4-5世紀の日本はヤマト朝廷がそれほど強力には確立しておらず、地方も含めた豪族の支持なしには天皇制も十分に機能しない、という時期です。ですので、本書でもしばしば言及されているように、古市集団と百舌鳥集団が天皇を出し合い、継体天皇のケースのように皇統が絶えると地方から呼び寄せる、という形で天皇制が継続されていたわけです。
その意味では、決して征服王朝などではなく、継体天皇も当時の天皇選出のルールに則った方法で選ばれている、という本書の指摘はもっともです。ただし、樟葉で即位して、なかなかヤマトに入れなかった点については、もう少し掘り下げた分析が欲しかった気がします。
本書では、古典古代の世界史的な大陸情勢も視野に入れて、グローバル・ヒストリーのような視点も交えて、日本の古代史がほどよく理解できるように工夫されています。天皇制が男系男子で万世一系かどうかはともかく、天皇制の視点から古代史を勉強するにはいい本だと思います。

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