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2026年06月08日08:15

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宮川努『社会的共通資本の経済学』(東京大学出版会)を読みました

宮川努『社会的共通資本の経済学』(東京大学出版会)を読みました。
著者は、学習院大学経済学部教授です。
本書は、タイトルから容易に想像されるように、宇沢弘文教授が提唱した社会的共通資本について論じています。2部構成であり、前半で社会的共通資本の基本的構成、広範で社会的共通資本の展開を考えています。
前半ではまず、ヴェブレンから説き起こしています。その上で、宇沢教授の示した社会的共通資本の構成として、自然資本、社会インフラ、制度資本を上げ(p.2)、サステイナビリティや気候変動問題にも着目しつつ、さらに、社会インフラについても、いわゆるハコモノではなく無形のインフラを考えています。ひとつの例として、全国総合開発計画(全総)が資源再配分機能を持った可能性が示唆されています。私が役所で公務員をしていたころに "Japan's High-Growth Postwar Period: The Role of Economic Plans" という論文を役所の同僚とともに取りまとめましたが、高度成長期には経済企画庁の長期経済計画についても同様の役割が期待されていたような気がします。
後半の社会的共通資本の展開では、まず、人的資本がどうして宇沢教授のスコープに入っていないかについて議論し、シカゴ大学のベッカー教授のような人的資本に関する議論を嫌ったためではないか、と示唆しています。私もその昔に長崎大学に在籍していたころ、「九州7県における人的資本の推計」と題する論文で人的資本に関する推計を試みたことがありますが、まさに、宇沢教授の目指す市場原理主義的な経済学からの脱却からはほど遠いものであったと反省しています。資本ストックなどと同じように生産を拡大し付加価値を生み出す観点からの人的資本論については、社会的共通資本とは方向性が違う、というのは明らかです。
後半第6章では格差を取り上げています。とてもナイーブなクズネッツ的な逆U字仮説はピケティ教授らも批判していますし、本書でも宇沢教授の観点から同様の見方を示しています。格差是正の観点からの最低賃金制やベーシックインカムに関する本書の議論については、私は少し物足りなく感じました。
最後に、本書のキーワードはもちろん、タイトル通りに社会的共通資本なのですが、もうひとつ隠れたキーワードとして「ゆたかさ」というのを指摘することができると思います。通常の経済学ではきわめて単純に1人当たりGDPをゆたかさの代理変数にする場合が多いのですが、本書ではどのように「ゆたかさ」を捉えているのかが少し気になりました。
例えば、ガルブレイス教授の著書に『ゆたかな社会』というのがあり、市場で供給される私的財への消費が肥大化している中、教育や医療をはじめとする公共サービスがむしろ貧困化しているアンバランスを鋭く批判しています。宇沢教授の社会的共通資本とも視点を同じくする部分が少なくありませんが、その『ゆたかな社会』の英語の原題は The Affluent Society です。ゆたかな=affluent であり、形容詞なのですが名詞で考えると、おそらく、経済学的には scarcity=希少性の対極をなす言葉ではないかと私は考えています。
加えて、斎藤幸平准教授なんかが批判の対象としている左派的な進歩主義を私はまだ信じており、何度か指摘したように、生産力が増大して商品の希少性が低下して、最終的に希少性が失われた先が共産主義経済に近いのではないか、と考えていたりします。
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