mixiユーザー(id:68108846)

2026年05月28日08:01

40 view

小平武史『ケインジアンが見失ったケインズの財政政策』(昭和堂)を読みました

小平武史『ケインジアンが見失ったケインズの財政政策』(昭和堂)を読みました。
著者は、よく判らないのですが、出版社のサイトでは「中央官庁において経済政策の企画立案に携わるかたわら、並行して学術研究をこころざし東京大学大学院経済学研究科博士課程修了」とされています。
本書では、タイトル通りに、ケインズの展開したマクロ経済分析を受け継いだ形のいわゆるケインジアン経済学のうちの財政政策について、ケインズ本人による大元の議論と比較して経済学説史的に議論を進めています。よく、マルクス主義経済学ではマルクスの直接の著作やメモに当たっての研究がなされている印象を私は専門外ながら持っていて、ケインズについてもスキデルスキー教授の一連の研究はそうなのだろうと思っていましたし、本書もそういったものかと考えることが出来ます。
本書は、3部構成となっていて、第�吃瑤妊織ぅ肇訥未蠅虜眄�政策、第�局瑤巴椴論�ペシミズム、第�敬瑤嚢餾塚�子率やリプロダクションといった個別テーマをそれぞれ取り上げています。
第�吃瑤任蓮∋笋慮�方からすれば、第4章のラーナーの機能的財政政策がもっとも興味深いところでした。機能的財政政策は現代貨幣理論(MMT)の主要な柱のひとつであり、私自身はケインズとは切り離しても財政政策運営の重要な方針のひとつになりえるものであると考えています。
ただ、本書ではケインズ自身が批判的であったことを根拠に、ケインズが機能的財政論を支持していたとは考えにくいと結論しています。それはそうなのでしょうが、現代的な経済学史観からしてラーナーの機能的財政論がケインジアン的であるかどうかの分析も欲しかったところです。すなわち、ラーナーの機能的財政論は、かなりの程度に、ケインジアン財政政策の理論的な展開の先に位置すると私は考えています。単に、「ご本人がこういっているから、こうなんだ」、ということでは、それは歴史学の領域であって、経済学史としてそれでいいのか、という批判はあり得る可能性を指摘しておきたいと思います。
第�局瑤巴椴論�ペシミズムについては、ケインズが生きていた時代背景としては、本書の指摘がよく当てはまる気がします。ただ、財政政策とも深く関係して、貯蓄投資バランスの観点からの弾力性ペシミズムの議論も合わせて展開してほしかった気もします。私自身は、1980年代後半にプラザ合意後の円高局面で日本の経常収支黒字が一向に減少しないパズルを考えさせられた世代ですので、時代背景とともに経済理論が進化する局面もいっしょに考えることが重要だろうと思っています。
マルクスにせよ、ケインズにせよ、その主導者がどう言って、何を考えていたのかは、もちろん、それなりの重要性があるのは否定しませんが、おそらく、本書のスコープ外ながら、さまざまな制度要因も変化している中で、例えば、金本位制下の理論がフィアットマネーではどのように考えるべきか、なども含めて、ケインジアン経済学も進化している可能性は考慮する必要があります。

1 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する