栗林文夫『廃仏毀釈はなぜ起きたのか』(山川出版社)を読みました。
著者は、鹿児島県歴史・美術センター黎明館調査史料室長です。
本書は、明治維新期の廃仏毀釈について、特に、すべての寺院が廃寺され、すべての僧侶が還俗させられた鹿児島の例を歴史学の観点から解明しようと試みています。
タイトルはwhyの理由に焦点を当てていて、その回答は、p.195以下に取りまとめてあって、いわゆる「熱しやすく冷めやすい県民性」をはじめとして4点上げられています。ここは、レビューですべてを明らかにしてしまうことは不適当ですので、読んでみてのお楽しみです。
本書が典拠としているのは、もちろん、多くの歴史書や史料が上げられていますが、私の目から見て、『市来四郎日記』と木脇啓四郎による『万留』が興味深いところでした。調べてみると、前者は、まさにご著者が勤務する鹿児島県歴史・美術センター黎明館で所蔵されているようです。
実は、本書を読んでみようと思い立ったのは個人的な事情があります。すなわち、浄土真宗との関連です。本書では軽く言及されているだけで、まったく重視されていないながら、廃仏毀釈の揺り戻しとして、仏教空白地帯となった鹿児島に対して明治10年1877年の西南の役が終結した後に仏教各宗派の布教団が大挙して押し寄せています。その結果、これは本書でも言及ありますが、一向宗=浄土真宗の信者が大きく増加しています。
これまた本書で言及されているところで、そもそも、江戸期から島津藩ではキリスト教はもちろん一向宗=浄土真宗もご禁制でした。ですので、藩主が帰依したり、祈願していたりした臨済宗をはじめとする禅宗や真言宗をはじめとする密教系の仏教が鹿児島では中心的な地位を占めていましたが、「隠れ念仏」は少なくなかった、と本書でも指摘していますので、浄土真宗信者が増える素地はあったといえるかもしれません。
実は、その鹿児島に派遣された中の1人が与謝野鉄幹の父でした。鉄幹自身も短期間ながら父親とともに幼少期に鹿児島に滞在しているようです。なお、与謝野鉄幹は西本願寺で得度していますが、私のばあさんもご同様に西本願寺で得度して法名をいただいていましたので、この得度がどの程度のものかは、私には不明です。私のひいばあさん、当然ながら、私の父から見たばあさん、もしくは、私のばあさんの義母は与謝野晶子と交流があり、その縁は浄土真宗だったと私の父は推測していました。そのあたりの興味もあって本書を読んでみた次第です。まあ、個人的な興味範囲でしたので、廃仏毀釈についてはそれほど理解が進んだわけではありません。悪しからず。
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