クィン・スロボディアン『破壊系資本主義』(みすず書房)を読みました。
著者は、カナダ生れで、現在は米国ボストン大学パーディー・スクール教授の歴史学者ヒストリアンです。本書の原題は CRACK-UP CAPITALISM であり、2023年の出版です。私は話題になった前著の『グローバリスト』も読んでいます。
本書では、副題になっている「民主主義から脱出するリバタリアンたち」Market Radicals and the Dream of a World Without Democracy に象徴されているように、民主主義と資本主義の矛盾を歴史的に解明しようと試みています。民主主義を否定した無政府主義的な体制を求めつつ、資本主義による金儲けに邁進する人々の歴史を追っています。そのひとつのキーワードとして「ゾーン」があります。例えば、「xx特区」のようなものがあるわけですが、この点は私にはそれほど理解がはかどりませんでした。
私の歴史観からしても、アダム・スミスやマルクスくらいまで、せいぜいが19世紀的な資本主義は生産者=供給サイドがまだ大規模化されておらず、個人営業のような町の靴屋や鍛冶屋が生産を担当していました。現在でも、少なくないサービス業、例えば、床屋や個人経営の小売店などはそうだと思います。
そういった小規模な供給者による生産に対して、現在では工場制の大規模メーカー、あるいは、チェーン店展開している小売業スーパーマーケットなど、大規模化した供給サイドに対して、消費者の需要サイド、さらには、雇用されている労働者のバランスが決定的に供給サイドに偏っています。トヨタに個人ドライバーは対抗しようがありませんし、スーパーで働くパート労働者の立場はかなり弱いわけです。
このバランスの決定的な偏りにより、歴史的に非常に相性がよく親和的だと考えられていた民主主義と資本主義が、クラックを起こしている、というのが私の理解です。本書はそこまで議論を展開しておらず、繰り返すと、私の歴史的な理解です。
ですので、雇用されている労働者や財・サービスの需要者である消費者、あるいは、一般国民の方が供給サイドの企業や経営者よりも圧倒的に多数であるにもかかわらず、民主主義の観点からは十分な決定権を持っていない、という実情があります。マルクス的にはこの格差の拡大によって革命が起こって労働者がプロレタリア独裁を行う、という予想だったのですが、そんなふうに歴史が進んでいると考える人は圧倒的に少数、ほぼほぼ皆無です。
逆に、本書では資本主義が民主主義を圧倒して、コモンを食い尽くし、あらゆる財やサービスの商品化が進んでいる現状を分析しています。特に、世界的な経済政策の流れとして、1980年前後からの新自由主義的な政策の採用により、規制緩和や民営化が進められ、ホントに価格をつけて市場で供給するのが適当かどうか疑わしい財やサービスまで市場で供給される商品となっています。
日本では、まだ教育と医療が何とか完全な商品化を免れていますが、商品化されて市場で供給されるようになれば、購買力という名の貨幣を持った人が市場における価格付けをリードし、優先的にそういった商品が配分されるわけで、ホントにそれが望ましいかどうか、必要とする人にはどう配分すればいいのか、などを考えるべき段階に達しています。典型的には、ニューヨークにマブダニ市長が誕生する契機のひとつとなった住宅の家賃です。
本書では、逆に、資本主義で大いに稼いだ人々が民主主義から脱出する現状をよく描写しています。カネで政府を「買った」例なんかもあるんだろうと思います。
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