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2024年05月01日12:37

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何時代?

 5月になりました。5月と言えばもう初夏という気がします。
 若葉がしげり、散歩道にはさまざまな花が咲きほこっています。特に今目に付くのはツツジとヤマブキ。
 ツツジはヒラドツツジが大半ですが、キリシマツツジやクルメツツジも見かけます。
 ヤマブキの方は一重咲きと八重咲きの2種類ありますが、見かけるのはほとんどが八重咲きのヤマブキ。八重咲きの方が華やかに見え、そのため昔からこちらの方が多く栽培されているが理由のようです。

 ヤマブキと言えば、太田道灌の逸話で有名な
「七重八重花は咲けども山吹の実のひとつだになきぞ悲しき」
という和歌が思い出されます。
 雨に打たれて困った太田道灌がある農家で蓑を借りようとしたところ、出てきた娘からヤマブキの枝を差し出され、わけが分からず、腹を立てて帰った道灌がその話を家臣の古老にしたところ、それは「実の」と「蓑」を掛けたもので、「我が家は貧しくて蓑のひとつもなく申しわけありません」という意味ですと聞かされ、自分の不明を恥じ入ったという逸話です。
 元歌は平安時代中期(1086年)に成立した『後拾遺和歌集』にある兼明親王の歌で、第5句は「悲しき」ではなく「あやしき」になっています。
 八重のヤマブキには実がなりません。それは雄しべが花弁に変化したためで、ヤマブキだけでなく、桜やクチナシなど八重咲きの花すべてに当てはまります。昔の人はそうしたことが分からず、不思議に思っていたようです。

 この和歌を用いて詩を書いたことがあります。
 第15詩集『夜とぼくとベンジャミン』に収めた「山吹」という次のような詩です。

三日尾張にとどまって
そのあと京へ発った
野にも山にも若葉がしげり
全身みどりに濡れるかのようであった
道の辺の花を見ては
殿もいたくご機嫌で
――実のひとつだになきぞかなしき
などと笑っておられたが
内心
それがいかにつらい思いから発せられた言葉であったか
ただただかしこまり
頭(こうべ)を垂れるしかないのであった

  爺、急ぐぞ

はげしく移りゆく世を
行列は進む
ふりかえれば
越えてきた山なみが見える
国許では今ごろ茶摘みがたけなわであろう

 *
 以前、この詩を学生たちに紹介し、詩の背景になっているのは何時代か分かる? と質問したことがあります。大半の学生が戦国時代と答えました。そうではなく正解は幕末です。なぜ幕末なのか、皆さんにはお分かりでしょうか?

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