偽ノンデュアリティの特徴について
ピュアノンデュアリティではない場合
次のような用語がみられます
たとえばニューエイジのバシャールだと
自分の統合された「観点」を使って
ワクワクすることを選択する
という表現です
観点だとか、自分軸だとかは
無我ではないので
結局
なんらかのアクションにこだわるということ
になります
また、
ピュアノンデュアリティらしく
みえてしまう
流行のノンデュアリティのメッセージも
ピュアではない場合がよくあります
たとえば
在る「視点」とかいう表現です
在る「視点」からこの世界を観ると、
全てが無条件の「愛」を「軸」に完璧に起こるべくして起こっているだとか
在る「視点」からのアドバイスにしたがうと
「運命」に愛が根づいてきます
だとか
(ノーマインドではない自由意思、運命の二元はまさしくマインドの範疇という幻想なのに)
そして
「受難(苦しみ)」が
「恩寵(愛のギフト)」だったと気づく
「在る視点」への誘導、実践「ワーク」
だ
とかいう表現となります
まさにネガティヴとポジティブの表裏一体の二元性です
現在ではない 幻想の二元の発想だと
幻想のヒーリングする視点であるとか
幻想の活動をあらわす「愛」
そして苦しみも愛からやってきてしまい(ギフト)
無条件ではない、
「無条件の愛という軸」により
ポジティブに成ろうとしてしまいます
これらは
典型的な偽ノンデュアリティ、
つまり軸と行為(ワーク)を前提とする偽ノンデュアリティであるといえます
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