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2024年05月02日00:20

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キリストこそルシファーである

キリストこそルシファーである



在るがままをごまかして生きているかぎり
マインド(空想)は自我の魂(分離を現実としたバラバラの存在)として輪廻します。

誤魔化す例は以下になります。


もっと「自分」が輝く人生を経験したい

愛を「軸(原点)」に人生を送りたい

「創造」的に生きたい

無我「夢中」に生きたい

無条件の愛が真実

といった誤魔化しです。


しかし真実は
無条件
のナチュラルスピリット(自然)
なのであり

愛というのは
愛するというように
活動(マインド)を必ず暗示
しており、
それを現実にしたならば
愛と憎しみとしてあらわれます
偽者はみずからをどこかで憎まずにはいられないからなのです
そして愛とは、マインドとマインドのあいだのやりとりです

ひとつであることには
やりとり
はありえないのです

キリストとは神の 癒し
をほんらい意味します

しかし

実相レベルに神とキリストがいるという
誤った教えは

神とキリスト(父と子)の相互愛というものを意味しており
同様に
それは幻想の二元的発想です

そして神を実在としたならば
そのときキリストとは
神の試みの想像のマインドのことでしかなく
じつはキリストは神によって愛されるのではなく
癒される幻想なのです

キリストというそのマインドはやがて兄弟の愛という多幻想にも発展するのです
兄弟は他人にはじまりでもあるため
憎しみの関係にもなるのです

まったく落ち着きのなさ
というのが偽マインドなのです

キリストには
反キリスト(憎悪マインド)も
同様にあらわれざるをえません

みずからはその同一の存在であることに
気づかないかぎり
光(キリスト 愛)と闇(反キリスト 憎悪)としてつづくのです

神という実在にとっては、

幻想の創造の試みとしての子キリストとは

キリストでありサタン(ルシファー)であります


神はただ在り、
その在るこそが
すでに永遠普遍の創造なのであり

それ以外の創造?の試みは
無意味(幻想)だったのです

その子(キリストでありルシファー)というのは
神によって癒されるさいごの幻想でしかありません

この真実によって

ナチュラルスピリットからの
倒錯したあらゆるスピリチュアル幻想

は 

永遠に終焉することになるのです





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