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2024年01月16日11:03

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1/13 みちのく いとしい仏たち@東京ステーションギャラリー

いわゆる「民藝」というものを私はどうも好かない。柳宗悦が嫌いなのではなく、素朴で飾らない、自然素材で手作りのものは、道具ならその機能美に感嘆するし、装飾ならその自然と一体となった美しさに感動する。結果、SDGsにもピッタリ沿う。その道の職人がその技術への矜持を持って作り上げているのだ。でも、量産できないという欠点があるために、その意に反して大変高価なものになっているのがどうも気に入らないのだ。

円空や木喰も、その作は素朴でやさしいお顔の仏様だが、どちらも歴とした僧で、民衆が気軽に拝めるようにとの「あえてのデザイン」である(と解釈している)。

しかしながら、この展覧会は、そういったこととは別次元のもののようだ。地方の小さな村々で祀られている、専門の仏師でない者が作った民間仏を紹介している。
東京に巡回する前に京都・龍谷ミュージアムで見た方々が絶賛していたのでとても楽しみにしていた。日曜日なので、そこそこ混んでいたがストレスにならない程度。ここは全て写真撮影不可。
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予想を遥かに超え、素晴らしい展覧会だった。
素朴で可愛い、ユーモラス、ゆるキャラみたい、癒される…などの感想が寄せられていたが、私はむしろ、文化の中心から完全に外れた北東北の、貧しく、厳しい生活者の切実で一途な祈りを感じて、胸が熱くなった。そんな暮らしの中では、現世の享楽を戒めるような仏の教えなどいらない、現世の辛さにそっと寄り添って黙って頷いてくれるような存在が必要なのだ。それは神であり仏であるが、神仏習合なのではなく、どちらだってそんなことは関係ない、神仏混在となった拠り所である。

民間仏とは
幕府や諸藩によって、寺院が「本山」とそれに属する「末寺」に整理された近世以降、日本各地の寺院本堂の形状や荘厳(仏壇の装飾など)は宗派ごとに均一化され、同時に大阪・京都・江戸・鎌倉などの高い技術をもつ工房で制作された端正な仏像・神像が祀られるようになりました。いっぽう、地方の小さな村々では十王堂(地蔵堂、閻魔堂)や観音堂など集会所を兼ねた場所が人々の拠り所でした。こうした場所や民家の神棚に祀られた十王、地蔵、観音、大黒天・恵比須などの木像は、仏師ではなく地元の大工や木地師らが彫ったもので、これを「民間仏」といいます。粗末な素材を使って簡略に表現された民間仏は、日常のささやかな祈りの対象として大切にされてきました。


一般的に地方にある祠の中にある仏像は、見たら罰が当たると思われて一度もご開帳せず、気付かないうちに朽ち果てていくことも多いという。展覧会の監修をした弘前大学名誉教授・須藤弘敏氏は、青森、岩手、秋田の、こうした仏像や神像を長年調査研究を続けてこられたという。この展覧会を見る機会を提供してくださり感謝。

https://www.ejrcf.or.jp/gallery/exhibition/202312_michinoku.html
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江戸時代、寺院の本堂の形状や荘厳が均一化され、上方や江戸で造られた立派な仏像が日本各地の寺院でご本尊として祀られるようになったいっぽうで、地方の村々では小さなお堂や祠などを拠り所として、素朴でユニークな仏像・神像が祀られました。仏師でも造仏僧でもない、大工や木地師の手によるこれら民間仏は、端正な顔立ちや姿のご本尊と違って、煌びやかな装飾はありません。
その彫りの拙さやプロポーションのぎこちなさは、単にユニークなだけではなく、厳しい風土を生きるみちのくの人々の心情を映した祈りのかたちそのものといえます。
青森・岩手・秋田の北東北のくらしのなかで、人々の悩みや祈りに耳をかたむけてきた個性派ぞろいの木像約130点を紹介し、日本の信仰のかたちについて考えます。

1 ホトケとカミ
北東北に仏像・神像が置かれるようになったのは10世紀末。信仰は、神仏習合というよりは、神仏混在であった。

《伝吉祥天立像》平安時代11世紀 岩手県二戸市・天台寺
衣の紋様とかひだが墨で描かれていて可愛い。
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《尼藍婆像・毘藍婆像(複製)》岩手県立博物館
尼藍婆・毘藍婆は兜跋毘沙門天の持仏として左右に安置される邪鬼。このポーズと座り方(後ろに回ると足裏が見える)がなんともユーモラス。
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2 山と村のカミ
熊野や出羽三山とはまた違う山神信仰。マタギは携帯するために小さな像を作り、杣人は宮を作って大きめの像を祀った。

《山神像》江戸時代 岩手県八幡平市・兄川山神社
メインビジュアルとなっているなんともユーモラスな像。どうしてこんなに頭と体がアンバランスになってしまったのか不思議だが、螺髪や手をあわせるポーズを、彫刻の基礎を知らない人が、どこかで見た仏像の記憶を頼りに一所懸命に彫ったのがわかって、感動。
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《山犬像》明治時代 岩手県八幡平市・某社蔵
山犬、つまり狼だ。大きさも等身大。顔がとてもリアルで、目も、少し見える牙もイキイキしている。でも、足が木の棒そのままななのは何か訳でもあるのかな。動き回られたら困る?神様だからかしら。
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《蒼前神騎馬像》江戸時代 岩手県八幡平市・某社蔵
蒼前(そうぜん)さまとは、馬の保護神。手は取れているが手綱を引いている。前髪揃えた馬の顔がなんとも愛らしい。そういえば、岩手はチャグチャグ馬っこという祭りがあった。馬を家族のように大事にしたんだね。
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《厩猿像》江戸時代 二戸歴史民俗資料館
厩に猿の骸骨を置く風習から。雌雄の猿は珍しいらしい。
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3 笑みをたたえる
現実の暮らしの厳しさ、度重なる災害、危険に対して、「いいんだぁ、いっぺ泣いでけ」と言ってくれる母や姉のような像が求められた。優しい笑みがみちのくの慈悲なのである。
《観音菩薩立像》江戸時代 1688年 岩手県一関市・松川二十五菩薩蔵保存会
心なしか「人生いろいろ」を歌う島倉千代子に似ている。菩薩様は女性ではないが、女性のような乳房があるのも特徴。母のイメージか。
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4 いのりのかたち 宝積寺六観音像
《六観音像》江戸時代 岩手県葛巻町・宝積寺
子供の背丈ほどの観音像。左から聖観音、千手観音、馬頭観音、十一面観音、准てい観音、如意輪観音だが、仏を作る上でのルールは無視されている。それでも、静かな顔立ち、やや沈鬱な表情が特徴で、お慈悲を感じる。衣のひだは深く彫って、大胆で立体的、全部違ってオシャレだ。
何よりも驚くべきは、足の先以外は1本の木から掘っていること。彫刻の専門家さえ腕は別に作るのが多いのに、専門でもない人がなぜ手まで一木で彫ったか。
この地域は山間で川が急流、昔から雪崩、土砂崩れなど天災で命を失う人が多かった。藩から特に許されて良材を提供されて、職人が精魂込めて作ったからだろうと解説にあった。印を結ぶ救いの手は、どうしても体と繋がっていなければならなかったのだろう。
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5 ブイブイいわせる
《不動明王二童子立像》江戸時代 青森県田子市・洞圓寺
真っ黒なのは護摩焚きの煤のせい。
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《多聞天立像》江戸時代 1970年頃 青森県今別町・本覚寺
頭が龍神様、帽子と顔が閻魔大王、胸の模様が大黒天、持物は多聞天のひとり4役。漁師の守本尊。他の像でもそうだが、怒肩なのは仏像の威厳、怒りを示すそうだ。龍の造作が殊のほか手慣れていたので、宮大工が作ったのかしら。
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《達磨像》江戸時代 青森県南部町・個人蔵
まるで郷土玩具のようなだるまさん。結構大きくてずっしりしている。はちまきが可愛い。
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6 やさしくしかって
《十王像》のうち 江戸時代 岩手県奥州市・黒石寺
江戸時代の人々は、死後の世界や地獄を身近に感じていたので、地獄を造形化することが流行した。閻魔大王や十王、奪衣婆、それに地蔵菩薩はどの地域でもよく作られる。しかしこちらの十王像はなぜか目鼻が小さくて無表情、怖くはない。閻魔様もこの通り、ちょっとひょうきん。現世だって辛いんだから、地獄に行ってもちょっとは加減してね、ってことかな。悲しいなぁ。
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7 大工 右衛門四良  
全8章の展覧会の中で、唯一、作者の名前を冠しているのが、大工 右衛門四良(えもんしろう)。右衛門四良は、江戸時代18世紀後半の青森県十和田市の大工。民間仏で作者がわかるものは極めて珍しいのだが、彼の作品は100体が現存する。それだけ彫れば上手くなろうものを、あえて上手にならず、無愛想な仏を彫ったのには何か訳でもあるのだろうか、そう勘繰ってしまう。
《三十三観音坐像立像》のうち 青森県十和田市・法蓮寺
市松模様の着物が人っぽい。
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《十王像》のうち 青森県十和田市・法蓮寺
厳しい顔つきだが団子鼻が笑える。
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《鬼形像》青森県十和田市・法蓮寺
肩をいからせて拳を握り怒っているが、可愛い。
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《童子跪坐像》青森県十和田市・法蓮寺
像の底が平らでないため前後に揺れる仕掛けになっている。鬼や十王様の前で「ごめんなさいごめんなさい」と謝る童子…賽の河原の童の切なさを思い、泣けてくる。
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8 かわいくて かなしくて
ここで1点、円空作の《観音菩薩坐像》が紹介される。青森県蓬田村・正法院蔵。円空はここにも造仏行脚に訪れていたのだ。このお寺からは「民間仏」も3点出ていた。明らかに、円空を真似たと思われる。しかし、全体がアンバランスで荒削り。それだけを見ていると素朴で荒削りの印象の円空仏が、とても洗練された「権威ある」仏像に見えてくるから不思議。

そこでふと思ったのだが、民間仏が円空を真似たのではなく、円空が民間仏に刺激を受けたのではないか。形は稚拙で、材料も粗悪だけれど、人々の本当の祈りがそこにある、と円空は感じたのではないかと思う。信仰のあり方、祈りの形の原点ともいうべきもの。

《菩薩坐像》江戸時代 青森県青森市・観音寺
どの仏像を見ても、その顔や体のバランスよりも、祈りの形をした手を一番注意深く彫っているような気がする。顔は村の誰かについ似てしまうが、体は彫っているうちに曲がってしまうが、何重にもある台座の装飾に、仏を敬う気持ちが表れている。
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《子安観音坐像》江戸時代 青森県五所川原市・慈眼寺
おさげ髪の観音様がまるで若い母親のように見える。限りなく人っぽい。水子の供養か、あるいは育ちきれなかった我が子への思いか、凶作の年の口減しか、そんな背景があってからこその、安産やこの成長を祈る子安観音なのだろう。
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元旦に能登で大地震があり、今もまだ行方不明の方がいて、災害関連死も増えていて、インフラ復旧もままならずに二次避難に移る人もいるという。自分の無力さを感じ、祈ることしかできないと祈るが、祈ることで心を落ち着けさせて、自分にできることはなんだろうと改めて考えることができるかもしれない。

2月12日までフォト

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