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2024年01月07日15:01

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1/5 マリー・ローランサンー時代をうつす眼@アーティゾン美術館

2日にキュビズム展でマリー・ローランさんの絵を見た。「典型的な」キュビズムの絵ではないが、洗濯船で交流を深めた仲間のキュビストたちを描いた絵だ。青い服を着た右の女性が本人。
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マリー・ローランサン展はしばしば開催されていて、日記に書いたのだけでも、2014年の三鷹美術ギャラリーと2023年のBunkamuraザ・ミュージアムがある。開催しやすいのはマリー・ローランサン美術館が多く所蔵しているせいもあるだろうが、石橋財団所蔵も多い。

今回の展覧会は、キュビズム絵画、挿絵、舞台美術、人物画、静物画などのテーマ別になっていて、ローランサンの作品だけでなく、所蔵品から関連する画家の作品も併せて紹介している。
82点中7点を除いて写真撮影可で、ゆったりした展示になっている。
4日に行った友人の弁ではそこそこ混んでいたそうだが、私が行った5日はガラガラ状態、1日でこの違いはなんだろう。

先日「キュビズム展」を見たばかりだったので、ローランサンやその周辺画家のキュビズム作品は特に興味深くみることができた。また、好みとしては、ローランサンの挿絵がすばらしく、特に「椿姫」の連作の小部屋はすっかり気に入って2度まわった。そういえば、堀口大學との交流も有名な話だった。

https://www.artizon.museum/exhibition_sp/laurencin/
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マリー・ローランサン(1883-1956)は、20世紀前半に活躍した女性画家です。キュビスムの画家として紹介されることも多くありますが、「前衛的な芸術運動」や「流派(イズム)」を中心に語る美術史の中にうまく収まらない存在です。ローランサン自身は、自分に影響を与えた存在として、同時代の画家マティス、ドラン、ピカソ、ブラックの名前を挙げていますが、彼らの様式を模倣することなく、パステルカラーの独自の画風を生み出しました。彼女は同時代の状況を見つつ、時代の要請を理解して、自らの方向性を模索しました。
本展では石橋財団コレクションや国内外の美術館から、ローランサンの作品約40点、挿絵本等の資料約25点に加えて、ローランサンと同時代に活躍した画家たちの作品約25点、合計約90点を展示します。ローランサンの画業を複数のテーマから紹介し、関連する他の画家たちの作品と比較しつつ、彼女の作品の魅力をご紹介します。



序章:マリー・ローランサンと出会う


《自画像》1908年フォト
アポリネールと恋人になった頃の自画像。キュビズムの影響を受けている。

《帽子を被った自画像》1927年フォト
画風が確立された自画像。


第1章:マリー・ローランサンとキュビズム

《横たわる裸婦》1908年(ネットから)フォト
セザンヌの回顧展やブラックのキュビズム作品を見た頃と思われる作品。

《若い女たち》1910−11年(ネットから)フォト
もっともキュビズムらしい作品だが、ローランサンは優美な曲線が特徴。

同時代のキュビストの絵と比べると、違いがわかる
ジャン・メッツァンジェ《キュビズム的風景》1911ー12年
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《サーカスにて》1913年頃(ネットから)フォト
ローランサンの色や形のオリジナリティがキュビズムの枠を超える。

年表にドローネーと二人展を開催したことが記されていた。キュビズムの中でも色彩の美しさに言及したドローネーとローランサンなら、素敵な二人展だったろうと思う。
ロベール・ドローネー《街の窓》1912年
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第2章:マリー・ローランサンと文学

1907〜11年詩人のギヨーム・アポリネールと恋仲、その後ドイツ人男爵と結婚、第一次世界大戦が起こり、スペインに亡命、1920年に離婚、帰国。
自らも詩を書くローランサンは、画家たちとよりも文学者たちとの付き合いを好んだと言う。22歳の時から挿絵を手掛けていたが、本格的に活動するのは1920年代以降。

マリー・ローランサン、堀口大學訳『月下の一群』1925年
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《椿姫原画》1936年フォト
囲われた展示室に水彩で描かれた12点。妄想お持ち帰りはこの中の一点にしよう。どれも美しくて迷うが…
フォトフォトフォトフォトフォトフォトフォトフォトフォトフォトフォトフォト
これに決めた!
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あなたはどれがいいですか。


第3章:マリー・ローランサンと人物画
《二人の少女》1923年
この作品は《友》というタイトルで1925年日本橋三越呉服店の展覧会に出品されたという。その後も日本に留まり続けたと言うから、その時に石橋正二郎が購入したのか。
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この出品目録が「中央美術」という雑誌に載っていて、面白い。
・マリー・ローランサンはローランサン夫人となっている(当時独身だけれど)
・ユトリオ氏ってユトリロ?
・この時、サアジエントが逝去し、藤田嗣治がフランス政府から勲章をもらっている。
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ちなみに1923年には肖像画家としてすでに大変な人気があった。ココ・シャネルも描いてもらったが気に食わず受取拒否、ローランサンもガンとして描き直さなかったというエピソード付きの絵は、以前に見た。 

同時代の画家を見ると、エコール・ド・パリの画家がいかに皆個性的だったかがわかる。
ケース・ヴァン・ドンゲン《シャンゼリゼ通り》1924−25年 
お洒落なパリっ子
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東郷青児《巴里の女》1921年
この東郷青児は好み
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藤田嗣治《人形を抱く少女》1923年  
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第4章:マリー・ローランサンと舞台美術
ローランサンが舞台衣装と舞台装置を手がけたバレエ・リュス《牝鹿》はBunkamuraで勉強済み。

《田園の祭典》1928年
パステル色の夢のような世界はローランサンの真骨頂。
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第5章:マリー・ローランサンと静物画
《花束》1939年
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ジャクリーヌ・マルヴァル《花》↓と比べるとわかる。マルヴァルの花は生命力に溢れて過ぎていて落ち着かない。飾るなら、ローランサンの花の方が部屋にしっくり合いそう。
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終章:マリー・ローランサンと芸術
ローランサンの作品を特徴づけているのは、パステルカラーの色彩である。
使っている絵の具は、
コバルトブルー、群青、茜紅色、エメラルドグリーン、象牙黒、銀白、鉛白
の7色、色の種類でいえば4つのみで至ってシンプルだ。しかし、誰もがこの色の組み合わせを見るとローランサンの絵だ、とわかるだろう。加えて、美しいのに決して生々しくならない女性たちの身体。独特の筆触にヒントがありそうだが、ローランサン自身バイセクシュアルだったことも関係しているかな。
世界大恐慌と大戦で世の中が暗くなった1930年代からは、黄色や赤が用いられ、鮮やかになっていく。
《三人の若い女》1953年頃
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3月3日まで

5階4階のフロアは、充実のコレクション展。特集は、昨年6月22日102歳で亡くなった野見山暁治。飛ばしてみても疲れる体力・集中力なしの私。

アルバムがありますので、よかったら見てください。
https://photo.mixi.jp/view_album.pl?album_id=500000121029013&owner_id=2083345



ここでは、新収蔵作品や好きな作品にを貼っておきます。

ヴラマンク《色彩のシンフォニー》1905ー06年頃フォト

ドラン《ヴァイオリンを弾くヴラマンクの肖像》1905年フォト

ロートレック《サーカスの舞台裏》1887年
モノトーンの油彩画。
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アーキペンコ《ゴンドラの船頭》1914年フォト
キュビズムの彫刻

大好きなクレーが2点も新収蔵品
クレー《双子》1930年
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クレー《小さな港》1937年
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野見山暁治《予感》2006年フォト

野見山暁治《振り返るな》2019年フォト
2020年東京メトロ青山一丁目駅にステンドグラス壁画が設置されたが、この作品はその壁画制作にあたり描かれた3点のうちの1点。青山一丁目駅は大江戸線で利用するせいか、ステンドグラス壁画を見たことがない。今度見にいってみよう。

岡田三郎助《臥裸婦》1901年フォト

ビュッフェ《アナベル夫人像》1960年フォト

ドラン《女の頭部》1905年頃フォト

山口薫《朝昼夜》1954年
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スーティン《大きな樹のある南仏風景》1924年フォト

小磯良平《二人》1954年
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香月泰男《えさやり》
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長谷川潔《「長谷川潔の肖像」のための挿絵》
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アルバムはこちら
https://photo.mixi.jp/view_album.pl?album_id=500000121029013&owner_id=2083345


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