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2024年01月04日17:55

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1/2 パリ・ポンピドゥーセンター キュビズム展 美の革命@国立西洋美術館

今年の美術展初めは「お勉強」
セザンヌが大好きなくせして、その後のキュビズムには食指が動かない。だって、ピカソもブラックも全部同じなんだもん…でも、知っているようで知らないから、お勉強するにはいい機会。会場で面食らうのも嫌だから、山田五郎さんの「オトナの教養講座」と日美で予習。五郎さんのはわかりやすくて面白い。

それを見てくる人が多いのか、人気なさそうなキュビズムなのに印象派展並みの混雑。チラシのピカソやドローネーの絵もよかったし、宣伝勝ちね。
作品数112点、内7点以外は全て撮影可。写真パネルや資料も存外に面白く充実している。章立ては14もあり、ボリューム満点で、キュビズムの全てが網羅されている。解説もわかりやすいが、やはり五郎さんのyoutubeで予習しておいたほうがいいかな。展覧会サイトにはダイジェスト版もあります。

https://www.nmwa.go.jp/jp/exhibitions/2023cubisme.html
https://cubisme.exhn.jp/
フォト
20世紀初頭、パブロ・ピカソとジョルジュ・ブラックという2人の芸術家によって生み出されたキュビスムは、西洋美術の歴史にかつてないほど大きな変革をもたらしました。その名称は、1908年にブラックの風景画が「キューブ(立方体)」と評されたことに由来します。
西洋絵画の伝統的な技法であった遠近法や陰影法による空間表現から脱却し、幾何学的な形によって画面を構成する試みは、絵画を現実の再現とみなすルネサンス以来の常識から画家たちを解放しました。また絵画や彫刻の表現を根本から変えることによって、抽象芸術やダダ、シュルレアリスムへといたる道も開きます。慣習的な美に果敢に挑み、視覚表現に新たな可能性を開いたキュビスムは、パリに集う若い芸術家たちに大きな衝撃を与えました。そして、装飾・デザインや建築、舞台美術を含む様々な分野で瞬く間に世界中に広まり、それ以後の芸術の多様な展開に決定的な影響を及ぼしています。
本展では、世界屈指の近現代美術コレクションを誇るパリのポンピドゥーセンターの所蔵品から、キュビスムの歴史を語る上で欠くことのできない貴重な作品が多数来日し、そのうち50点以上が日本初出品となります。20世紀美術の真の出発点となったキュビスムの豊かな展開とダイナミズムを、主要作家約40人による絵画を中心に、彫刻、素描、版画、映像、資料など約140点を通して紹介します。日本でキュビスムを正面から取り上げる本格的な展覧会はおよそ50年ぶりです。

1キュビズム以前ーその源泉
2「プリミティヴィズム」
3キュビズムの誕生ーセザンヌに導かれて
4ブラックとピカソーザイルで結ばれた二人
5フェルナン・レジェとファン・グリス
6サロンにおけるキュビズム
7同時主義とオルフィスムーロベール・ドローネーとソニア・ドローネー
8デュシャン兄弟とピュトー・グループ
9メゾン・キュビスト
10芸術家アトリエ「ラ・リュッシュ」
11東欧から来たパリの芸術家たち
12立体未来主義
13キュビズムと第一次世界大戦
14キュビズム以後




・セザンヌの多視点、幾何学的形態
・ゴーガンの大胆素朴、平面的な「プリミティブ」な作品
・ルソーの正規美術教育を受けてない者ゆえの自由さ
・アフリカ、オセアニカから入ってくる素朴で力強い仮面や彫像などの品々
こう言ったものが、ブラック、ピカソ、ドランの制作に刺激を与える。

パブロ・ピカソ《女性の胸》1907年フォト
ジョルジュ・ブラック《大きな裸婦》1907ー1908年フォト
マリー・ローランサン《アポロネールとその友人たち(第二バーション)》1909年フォト

しかし、いわゆるキュビズムが生まれたのは、セザンヌ没の翌年1907年に開催されたセザンヌ回顧展であったという。キュビズムの創始者はピカソやブラックだと言われているが、その実、二人以外にもセザンヌ展を見た多くの画家たちが同時多発的に「多視点からなる幾何学的形態の構築」に傾倒していったようだ。

ジョルジュ・ブラック《レスタックの高架橋》1908年フォト
セザンヌに傾倒したブラックがカーンヴィラー画廊で個展を開く。なんでもキューブに還元すると評されて「セザンヌ的キュビズム」の誕生。というか、斜めの筆触までセザンヌにそっくり。
ただし、山口晃がアーティゾンで「我々がセザンヌにキュビズムを見出すのはセザンヌへの侮辱に思えます」と語っていたが、よくよく見比べると、確かにセザンヌは多視線によって画面を構築していくのに対して、キュビズムはモノを多視点から見て「一度分解して再構築」している、と理解すれば合点がいく。
それにしても、ブラックがセザンヌから受けた影響の大きさを感じずにはいられない作品だ。

ブラックとピカソは1907年に知り合い、共に「新しい絵画の方法」を追求する。元々は19世紀に写真技術が生まれ、「絵画にしかできないことは何か」と先人たちが模索してきたその究極の形を追求したということになるか。
そして909年夏「分析的キュビズム」が完成

パブロ・ピカソ《肘掛け椅子に座る女性》1910年フォト
ジョルジュ・ブラック《レスタックのリオ・ティントの工場》1910年秋フォト
キュビズムが何を見ても同じ、とつまらなく感じるのかここだろう。形の実験が色に惑わされることないように色調を限定し、対象を、垂直、水平、斜めの直線によるグリットに沿って解体しているからだ。「感動的な絵」というより「実験」だと思えば、つまらなくないか。

しかし、この二人がすごいところは、そこから抽象に向かわずに「総合的キュビズム」を編み出す。あくまでも現実を描くことにこだわるのだ。
ジョルジュ・ブラック《ギターを持つ男性》1914年フォト
コラージュを用いたり、木目を描いたり、現実感をだす。ブラックの実家が佐官屋だったので、絵の具に砂を混ぜることなんかも思いつきやすかったんだろう。
パブロ・ピカソ《少女の頭部》1913年
フォト bフォト
ゆるくウエーブを描いた柔らかそうな髪の毛が現実的。ブラックの代名詞のような鳩が小さく描かれていた。
フォト

実際、二人の絵はそっくりで、区別がつかない。

彼らのキュビズムは、カーンヴィラー画廊での発表に限られていたし、カーンヴィラー画廊はフランスにおけるキュビズム絵画の中心的存在であったので、第一次大戦が起きたために1915年には終焉を迎える。なぜなら、カーンヴィラー氏がドイツ人であったためフランスにとどまることができなかったからで、キュビズム自体もまたドイツの文化侵略だと非難されたからである。

話は戻って、ブラックやピカソ以外にもキュビストたちの活躍は目覚ましかった。大規模公募展に積極的に出品し、結果的にキュビズムを世界に広めることになる。サロン・キュビストと呼ばれ、ブラックたちの最初のキュビズムがモンパルナスの「洗濯船」が拠点だったのに対し、やがて中心はモンパルナスの「蜂の巣」に移る。ここは、エコール・ド・パリの拠点でもあり、五郎さんが「キュビズムは1910年代の画家が、誰でもが一度はかかる麻疹みたいなモノ」と称したのもうなづける。昨年のマティス展で、一枚だけキュビズム的な女性像があったのが印象的だったっけ。

サロンに出品するので大きな作品が多い。大きな画面での構成はさらに熟練を要するだろう。

フェルナン・レジェ《婚礼》1911−12年
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アルべール・グレース《収穫物の脱穀》1912年
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ロベール・ドローネー《パリ市》1910ー12年
画面の左右にはパリの街とエッフェル塔、中央には三美神。
メインビジュアルになった作品だが、これまでと明らかに違うのは「色彩の構成」にまで研究が及んでいることだ。色があると美しい。
フォト

ドローネーは輝くような色彩の「オルフィスム(オルフェウス=詩的キュビズム)と言われる。
ロベール・ドローネー《円形、太陽no.2》1912−13年フォト
ほとんど抽象?

また、妻ソニア・ドローネーと共に、異質な要素を同一画面に統合するという「同時主義」も打ち立てる。
ソニア・ドローネー《バル・ビュリエ》1913年
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一方、あの便器で有名なマルセル・デュシャンが二人の兄と共に中心となったのが「ピュトー・グループ」で、黄金比や非ユーグリット幾何学、四次元の概念など数学や科学をキュビズムと理論づけようとした。
こうなってくると私の頭脳ではお手上げ、とにかく作品を見る。

ジャック・ヴィヨン《行進する兵士》1913年フォト

フランティシェク・クプカ《色面の構成》1910−11年フォト

《メゾン・キュビスト》キュビズムを建築や室内装飾へと展開する試み。なるほど、ここでアール・デコと結びついた!解る嬉しさ。世の中はクラシックからモダンへ移行。
フォト


一方、ここでは東欧出身の作家たちも紹介、彼らは「ラ・リュッシュ(蜂の巣)」に住まう。

コンスタンティン・ブランクーシ《プロメテウス》1911年フォト
春にはアーティゾン美術館でブランクーシ展がある。

マルク・シャガール《婚礼》1911−12年フォト
キュビズムの影響が見られる。

マルク・シャガール《キュビズムの風景》1919−20年
フォト フォト
シャガールは、シャガールらしくなくても可愛い。部屋に飾りたいのはこれかな。

アメデオ・モディリアーニ《赤い頭部》1915年フォト

レオポルド・シュルヴァージュ《エッティンゲン男爵夫人》1917年
モスクワ出身の画家。一体どんな物語があるのか、面白くて気になる作品。
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ロシアでは、フランスのキュビズムとイタリアの未来派から同時に影響を受け、「立体未来主義」ができた。

第一次世界大戦後は、伝統的技法、古典的主題へと向かう。

パブロ・ピカソ《輪を持つ少女》1919年
キュビズム的な少女の後ろには写実的に描写された鏡のフレーム。
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そしてこの展覧会最後には、ここ西洋美術館を設計したル・コルビュジエを紹介して締める。
1919年キュビズムは再び最先端の芸術表現として形を変えて回復。簡潔な形態と厳格な構図で、揺るぎない機能美を描く。
ル・コルビュジエ《静物》1922年フォト

1月28日まで


アルバムあります
https://photo.mixi.jp/view_album.pl?album_id=500000121027602&owner_id=2083345

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