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2022年11月02日07:58

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発信の場所と角度

    発信の場所と角度            斎藤 寛

「短歌人」新年歌会が開催された2020年1月19日の時点では、国内の感染者は武漢から帰国した一名のみで、それはなお武漢の地で発生した新型のウイルスによる肺炎の話だった。〈武漢なる強きをのこの名の都市が戦(をのの)きてゐる新型ウィルスに〉(采女勝子、読売歌壇2020.3.9)【*1】という一首はその頃に詠まれたものだろう。しかしほどなくそれはクルーズ船の問題となり、そしてたちまち全国の、否、全人類の問題となった。

「短歌人」2020年5月号には新型コロナを題材とした作品が多数掲載されたが、その中で最も印象深かったのは、

  五年日記に「コロナ」と書いて五年後に懐かしむための今日であること   大平千賀【*1】

という一首だった。収束まで五年と予感しつつ、「五年日記」というアイテムによって現在を俯瞰する視点が採られている。あの頃は大変だったねえ、と懐かしむ日がきっと来る。そう詠むことによって歌はある種の慰撫の作用をも持つだろう。

およそ歌を詠むことは三十一音の物語を紡ぐことであり、何らかのかたちでそれが公表されれば、歌詠む者一人一人はミニメディアの発信者となる。新型コロナという題材の場合は海の向こうの戦争などとは異なって誰もが当事者となる問題なのだが、マスクをしていると表情が伝わりにくいとか、ワクチンの予約に苦労したとかいうようなことどもは、一人一人の詠み手にとっては固有の経験として発信されても、結果としては類想多しということになるだろう。「コロナ禍の」という語などはこの時代の枕詞の如くに頻用されるに至った。そこを抜け出るためには、作者の発信の場所、そして経験を歌として打ち返す角度の如何が問われることになる。

  二ページのガイドラインの先頭はコロナ番組見るなと諭す   依田仁美

  「ノーコーセッショクダメ」と言ふ子がちよつかいを先に出した子みんな笑つた   弘井文子

  他人には言えぬ濃厚接触の場所はこの先まがったところ   野上 卓【*1】

一首目は「舟」39号(2021年12月)より。自ら感染してホテルへの隔離療養となった経験を題材としている。なるほどガイドラインのこうした記述を「コロナ番組」が伝えることはないだろう。二首目は「短歌人」2022年4月号より。家族の中の光景ではなく、地域の子どもたちが集う職場に身を置いている時の作品だ。マスメディアの取材なら子どもへのインタビューで済ませてしまうところだろう。「濃厚」な「接触」と分節されることなく「ノーコーセッショク」という音列としてこの子はこの語に出会ったのだった。三首目は『チェーホフの台詞』より(初出は読売歌壇2020.5.18)。思えば「濃厚接触」とはずいぶんアヤシイ日本語ではないか、という角度へ時事用語を打ち返してユーモラスな一首に仕立てている。

  エッセンシャル・ワーカーなどと拍手して 称える側は手を洗いおり   川本千栄【*2】

『森へ行った日』より。「エッセンシャル・ワーカー」もこのたび流通したタームであった。そうした労働に従事している人々への感謝を詠んだ歌なら数多くありそうなところ、下の句にて苦い自己批評を差し挟んでユニークな一首となった。「手を洗いおり」は「穢れを祓いおり」に通じる所作だろう。

  長く長く歩くほかなく踏みつける白いマスクも黒いマスクも   大森静佳

  席ひとつ空けて映画を観る五月ふたりに透明な子のあるごとく

『ヘクタール』より。もとより大森は時事詠などというモチーフで歌を詠む作者ではないが、こうした作品にはパンデミックの時代の影がおのずと落とされている。一首目は路上に捨てられたマスクを誰もが想起するだろうが、こう詠まれてみるとマスクとはそもそもmaskすなわち仮面であった、剝ぎ取られた白仮面黒仮面をわれは踏みつけてゆくのだ、というような方位へ読者の想像はいざなわれる。二首目はソーシャル・ディスタンスの場面。隣り合って映画を観たいところやむなく空けた席には、二人の間に生まれた透明な子が座っている、という方向へ想像が飛ばされている。

  ウィルスが侵入してくる 人間の身体(からだ)自然へ開かれてゐて   香川ヒサ

  さびしさに触れて交わして乗り換えてとどのつまりウイルスは愛   鈴木美紀子【*3】

一首目は角川「短歌」2021年8月号より。自然を操作可能な対象と見なして開発=搾取してきた資本制の下での人間への苦い内省が背後にはあるだろう。二首目は「まろにゑ」63号(2020年8月)より。結句末尾の「愛」はアガペーの愛ではなくエロスの愛。アガペーは「乗り換え」たりはしない。ウイルスのありようにエロスとの類似を感じつつ、倍音としては、感染のリスクを知りながら身体で愛し合うわれらの切なさも伝わる。ウイルスは敵だ、今は戦時だなどと言い募っていた場所からすれば、「ウイルスは愛」などというのは滅相もない物言いだろう。しかし、短歌という器は時に滅相もないところまでひとを連れてゆくことがあるのだ。

(「短歌人」2022.11[特集・コロナ禍の短歌]より転載)

〜以下だそく〜
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【*2】https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1979663616&owner_id=20556102
【*3】https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1977129519&owner_id=20556102


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