「この旅 果もない旅のつくつくぼうし」「ふと覚めて耳澄ましたり遠雷す」「飯のうまさが青い青い空」「風のよきに寝ころべば星が流れたり」「橋の下のすずしさいつかねむつてゐた」「秋風、行きたい方へ行けるところまで」「けふもいちにち風をあるいてきた」「日ざかりのお地蔵さまの顔がにこにこ」「ふとんふうわりふるさとの夢」
日本の原風景とも言える郷愁を誘う様々な地方の写真と、あてどもない旅の日々を綴った日記の抜粋によって、山頭火の道行きを追体験しているような心持ちになる。
同じ自由律俳句であるけれど、ある種の諦念が背後にある尾崎放哉の句と比べ、山頭火の句にはゆったりとした明るさが通底する。感覚として、放哉の句はカラリと乾いた印象があるが、山頭火の句には潤いが感じられる。
しかし、山頭火のおおらかな句にも、その奥には悲しみが存在する。家族を襲った不幸、酒に溺れる身への自嘲、漂白の行乞の旅の寂寥ー。「分け入っても分け入っても青い山」という句は、詩人の透明な悲しみが山へと吸い込まれてゆくようである。
同時に、純粋な生の歓びがある。山の岩清水や、宿のおかみさんの心づくしの大根漬けの至上の口福、ざあっと溢れる朝湯に浸かる愉楽など、様々なものを捨て去った後に残る、ささやかながら確かな幸福を山頭火は永遠に句にとどめた。
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