三島由紀夫没後50年は去年だったが、ことしも、BSでたくさんの番組が創られている。現在「100分で読む名作」が司会:伊集院光、ゲスト平野啓一郎さんで取り上げられていて、これを機に読んでみることにした(自慢ではないが、私は、読んでない名作がたくさんある〜恥)。
うまい具合に「ほるぷ社」の本を借りることができた。文字が大きくて、言葉が頭に入りやすい。想像よりも、楽しく(と言うと変だが)読むことができた。
三島由紀夫は昭和になる前の年1925年の生まれなので、
作品を創った年と、年齢が同じで考えやすい。昭和20年、すなわち20才で終戦を迎えた。徴兵検査で合格も、その後肺腫で不合格となった、という(後ろめたい)過去を持つ。
「金閣寺」は31才の作。昭和25年の放火炎上をテーマにしていて、ストーリーはカンタンだが、一人称の文章に、自分の思い(思想か〜)が、絢爛たる(難解でもある)書かれている。(正確に伝えようとすると、自然とそうなるのだろう)。
なぜ主人公が、金閣寺を燃やそうと思うに至るかが、小説の主題にして、難解な部分である。老師、親、関わる女性、友人との関わりから推察するのだが、どう考えるかで、いろいろに読めると思う。
三島は、前作の「仮面の告白」で同性愛者だとカミングアウトしていたが、(普通の人はそんなの読んでないから)。一般的には、「豪放磊落、筋肉系右翼、ちょっと頭のおかしい有名作家」みたいな風に思われていたのではないか。
しかし、三島は、疎外感にさいなまされていた。一番のしこりは、戦後の国民の変わり身の早さ。
「愛国少年だった自分が、何の役にもたたぬまま、終戦を迎えてしまった」「天皇に尽くすはずだったが、(憲法は変えぬまま)、象徴天皇となり、自分の天皇はいなくなってしまった」・・・というようにジクジクと考える人間だった(平野説を参考に〜)。
日本人は(私も)、良く言えば柔軟、大らか。悪く言えばご都合主義、喉元過ぎれば〜人間。「ご飯食べられれば、ま、イイカ〜」でやってきた。(たとえば、仏教と神道に、垂涎説があり、権現という仏像がある。尊皇攘夷だった人たちも、すぐに西洋崇拝になった、とか〜)。
三島は
、ナットクの行かない思いを、この「金閣寺」の主人公に託し、「美はどうあるべきか」というテーマで小説にした・・・この辺を、どう解釈するかで、いろいろな読み方があるのだと思う。
僕たちは、その14年後に、三島由起夫がどうなったかを知っているので、一連の流れで考える事ができるが、これを書いた時に、三島は、自衛隊で割腹自殺することを予感していただろうか。
ふと、日本が大好きなのに、戦後、日本に絶望してフランス人になった、藤田嗣治を思った。現在、コロナ禍にある苦しみ、平気で噓をいう政治家なども、過ぎたら終わり、というだけでなく、ちゃんと考えていかないと、とも。
この小説に、再三でてくる「南泉斬猫ナンセンザンミョウ」という公案(禅問答)に、三島の2種類の解釈があって面白かった。そのハナシは→
https://www.asahi-net.or.jp/~zu5k-okd/house.14/mumonkan/gate.7.htm
金閣寺
http://mixi.jp/view_item.pl?reviewer_id=12726877&id=10914
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