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2021年04月26日09:37

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本棚382『テンペスト』シェイクスピア(ちくま文庫)

 「この荒々しい魔術はこの場で捨てる。この上は天に音楽を奏でさせ···楽の音の妙なる力で、私のもくろみどおりみなを正気に戻したあかつきには、魔法の杖を折り、地の底深く埋め、測量の錘も届かぬ深みに私の書物も沈めてしまおう。」

 シェイクスピアの単独の作品としては最後となる本作。物語の最後でプロスペローが魔法の杖を折る姿とシェイクスピア自身が筆を折る姿とが重なり合う。人間の美しさも醜さも、人生の永遠も儚さも、その活き活きとした躍動的な筆致で多彩に描き出したシェイクスピアの作品はあたかも魔法のよう。

 ミラノ大公であったプロスペローは、弟に裏切られ、幼い娘ミランダとともに孤島に流され、12年もの歳月が過ぎる。秘術を身につけたプロスペローは嵐を起こし、彼の地位を簒奪した弟と、ナポリ王とその王子らの乗る船が難破し、同じ孤島に辿り着く。そして、娘のミランダとナポリ王子が恋に落ちてー。
 
 シェイクスピア単独作の最後を飾るに相応しい本作は、詩的音楽性とスペクタクル性に満ちており、ラストも爽やかなハッピーエンドで締めくくられる。永年の敵に復讐する千載一遇の機会を手にしても、最後に「赦し」が見られることも、物語に明るさをもたらしている。

 シェイクスピアの悲劇は、どれも人間の闇の部分をえぐり出し、「業」とも言える運命を提示する圧倒的な力を感じさせるが、本作や『十二夜』、『シンベリン』のような幸福な結末の作品にも心揺さぶられる。
 悲しみと喜び。人の一生は、両者が織り混ざって成り立っている。それは悲劇や喜劇といったシェイクスピアの膨大な作品の分類からも分かるが、一つの作品、一人の登場人物の中にも悲しみと喜びは折り重なって存在しており、それが物語に深みを与えている。

 例えば、 心乱れた際に、プロスペローが人生を形容する以下の言葉は悲しみに満ちている。 「荘厳な寺院、 巨大な地球そのものも、そうとも、この地上のありとあらゆるものはやがて融け去り、あの実体のない仮面劇がはかなく消えていったように、あとにはひとすじの雲も残らない。我々は夢と同じ糸で織り上げられている、ささやかな一生をしめくくるのは眠りなのだ。」

 他方で、国を追われ、孤島にやってきた時のいきさつを娘のミランダに語る場面。幼い自分が一緒ではさぞ足手まといだったでしょう、と言うミランダに対するプロスペローの言葉のあたたかさ。ミランダの笑顔は、プロスペローに強さを与えるだけでなく、優しさも与えた。だからこそ、過酷な運命の中でも、プロスペローは人間性を失わず、最後の「赦し」にも繋がるのであろう。

「いや、天使だった、私を救ってくれたのはお前なのだ。お前はにこにこ笑い、天から授かった強さにあふれていた。私は塩辛い涙の雫で海の面を飾り、重圧にうめいていたのだが。お前の笑顔は私の中に不屈の闘志を呼び覚まし、何が起こっても耐え抜こうと思わせてくれた。」
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