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2021年04月26日04:02

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1969年に見たときは、その年の外国映画でベストだと感じた作品でしたが…(と語尾を濁す)。ジャン・リュック・ゴダール監督「ウィークエンド」(1967)。

1967年の作品ですが、そろそろゴダールの映画を劇場公開するという配給会社がなくなりつつある時期でした。たしか初上映は草月が映画祭を行い、その中の目玉商品だったと思います。大阪では関電ホールというホールで上映したのだったと思います。

2010年にWOWOWで放送されたので録画し、それまでVHSでしか持っていなかったこの作品を僕は捨てることができたのでした。しかしこんなに画面が暗かったっけ。もっともVHSでは再見しなかったから(録画した当時は見たけど)、詳細は記憶にありません。また4:3の画面に上下黒味が入るレターボックスによる放送でしたから、HDリマスターではありません。

上映会では、フランスから取り寄せたプリントをデュープすることなく、字幕を直につけて(打ち抜き、ね)上映していたから、画像の鮮明さは言うまでもありません。なにしろゴダール作品は「軽蔑」を見たら分かるように、画面の鮮明さが大きな魅力なのです。そもそも映画が画像の良さという観点から語られずに、セリフやその内容などだけから語られることは大間違いです。

冒頭の男女の会話が延々と続く、その緊張感には驚きます。スタンリー・キューブリックが「アイズ・ワイド・シャット」でニコール・キッドマンに延々と独白させたのは、この映画の模倣だったと感じてしまいました。そんなワンカット撮影が全編に用いられ、交通事故で渋滞した道路を左から右へと移動していく5分以上のワンカットには驚愕します。

つまり、この映画には“ジャンプショット”がありません。「勝手にしやがれ」で見せたあの“手品”がまったくない。←もちろんシークェンスとシークェンスのつながりは“ジャンプ”ですけどね。このワンカット移動を、方法だけ真似た追随映画小僧たちのいかに多いことか。まさに大島渚が予言したように、方法だけを論ずる者は退廃していったのです。

この映画上映会のチケットを預かった我が大阪市立大学映画研究会は、それぞれ手分けして売りさばきました。そんな中で経済学部のM君が、誰も知り合いのいない女子大へ入り込み、芝生でくつろぐ女生徒たちに何枚も売りつけてきたという事実に驚愕しました。僕は知人にしか売れなかったもので。M君いわく“オルグは、こうするものだ”。

やはり映画がテレビCMの威力に頼るようになって以降、こういうオルグは姿を消しましたね。じっくり話をしあって、その上映会に参加してもらうという“面倒な方式”は根付かなかったわけです。しかし実生活では僕は、大阪シネクラブ研究会という会で知り合った女房と結婚したわけで、そういうオルグは貫徹していたわけです。

そういう意味で、池島ゆたか監督の名言“女を口説くにはゴダールを語れ”が重く感じ取れます。すでに50年以上前に、僕はそれを実践していたんだし。←“口説く”という行為の回数で言えば僕は駆け出しにも至らない児戯程度だけどね。←人生においてこういうものは、回数を競うものではないのだ(熟達者は笑って見逃して)。

そしてまた僕は思い出します。大島渚監督の「日本春歌考」で長部日出雄氏(後の直木賞作家ですな)が“ぼくは20歳だった。それが人生で最も美しい時代とは誰にも言わせない”とポール・ニザンの「アデン・アラビア」の一節を朗読した場面を。その言葉に惚れて、あれから50余年を生きてきたんだなぁ。

というような雑念のエキスを、5月5日のトークーショーの前座として10分か15分喋らせていただくつもりです。ぜひ武蔵小山アゲインへ来てください。マスク着用、アルコールによる手消毒をして、万全のアンタイ・コロナ(なんで英語やねん)体制で行いますので。

詳しくは、武蔵小山アゲインのスケジュール一覧を御参照ください。
http://www.cafe-again.co.jp/sche_next.html

写真3の“記念写真”でインターナショナルが流れるあたり拍手喝采でした。わかるかなぁ、わかんねぇだろうなぁ。←このセリフ自体が分かんないはず。
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