本書はロシア文学の巨匠、プーシキン、ドストエフスキー、トルストイ、チェーホフなどの作家たちの生涯と愛の遍歴を描き出す。綿密な資料の分析は、作品の背後に隠れた文豪の真の姿をあぶり出すとともに、時に悪妻、悪女と後世の人びとに評された女性の秘められた想いを明らかにする。岩波文庫の『桜の園』の著者の解説は名文だと思うが、本書でも著者の筆は冴えている。
とりわけ印象的だったのは、ロシア近代文学の父と呼ばれるプーシキンの妻で、絶世の美女でありながら、浪費と不倫にうつつを抜かし夫を決闘死させたとされるナターリアだ。彼女からプーシキンへの手紙が現存しないため、悪女という濡れ衣を着せられているが、多様な資料により、夫婦の固い信頼関係、深い愛情が存在していたことが分かる。
「詩人プーシキンの誉れは永遠であった。そして彼が生命をかけて愛した妻ナターリアも、真実その愛にふさわしい魂の女性であったのである。」
おびただしいトルストイ家の写真の中に、妻の笑顔が、わずかな微笑さえも一枚もないという話も衝撃的だった。夫の高潔な思想を理解せず、ヒステリーにより彼の死期を早めたとされる妻ソフィアも、その作品の崇高さとは乖離した、人間トルストイの行状を知ると、ソフィアへの同情を覚える。一方で、ソフィアは夫から『戦争と平和』の原稿の清書を任されるなど、充足した穏やかな時もあったという。
「幸福な家庭はどれも似たものだが、不幸な家庭はいずれもそれぞれに不幸なものである。」という言葉で、『アンナ·カレーニナ』は始まるが、そもそも「幸福な家庭」と「不幸な家庭」という境界自体が曖昧なものであるのかもしれない。
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