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2019年11月02日11:46

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唯脳主義・信仰・戦争

デカルト思想が西洋を支配した後、本当に信仰心も変わったかもしれない。19世紀に生きたマルクスが「人が神を作った」と述べているが、理性をフィルターに神とか仏を捉えると、そうなってしまうようである。但し、マルクスは経済学者であり、現代で言う所のジャーナリストでもあったから、それについての深い分析はせず、後世の人達から誤解もされたが。


  僕に「神様が人をつなぐことになっているのに、この教派は勝手に自分の神を各々作って自己満足している」と85年ごろ、嘆きの手紙をくれた伝道師もまさにその事を述べている。その人はまだ唯脳主義の問題に気が付かなかったわけである。何もその教派だけでないだろうし、明治以降は日本の仏教もその影響を受けたと思われる。高校時代の僕が歎異抄を読んでも判らなかったが、そのような事だったと今になり、気が付くわけである。高校時代の僕も、自分の脳で仏を作ろうとしたから、判らなかった。「判らない」で、むしろ、良かったと思う。自分の脳が勝手に作り上げた仏なり、神をまともに信仰する事があれば、必ず、間違った信仰になり、人生も道を踏み外すわけだから。それこそ、後年、島田や伊藤まつさんの所に行っても、まともに付き合えず、視野も狭くなったから、何も見る事もなく、失敗しただろう。(僕の行った教派は信仰根拠に悩み、80年代は「友愛・仲良し」を尊重。でも、キリスト教本来のアガペーではないし、その出所も学校教育だったようだ。明治以来、日本ではその2つを学校で教えているから。羽仁進氏が異論を述べたのは、昨日話した通りである。牧師たち含め、いくら聖書を読み、歴史を見ても、理性のフィルターが、デカルト以前のキリスト教を見えなくしていたようだ。でも、88年に一牧師が在日韓国人の一人を侮辱する事件が起きた。詳しい事は僕は知らないが、「友愛」の看板もそこで降ろしている。限界があったわけだ。後は迷走し、勢力は衰え、牧師レイプが発覚すると更に衰えた。あってはいけないし、被害者たちの心の痛みも相当なものだが、「理性中心の信仰」では性欲も抑えられず、女性や子供の人権も侵害してしまうわけである。当然、アイルランドの神父たちの性事件の問題にも言える。僕の行った教派だけでもないわけである)


   最後に、一番大事な事。唯脳主義や理性だけで、戦争が抑止できるか。歴史を見れば、判りましょう。戦争は多くの利害が絡んでいますが、理性はエゴを超えられませんね。又、一人一人の脳が違い、つながりもなければ、殺される人たちの気持ちは判らず、最悪の場合、報復合戦にもなるわけです。ヒットラーも虐殺したユダヤ人たちの気持ちは判らなかったし、アメリカ軍部も北爆されたベトナム人の痛みは判らなかった。戦前の日本軍とか、旧ソ連とか、いくらでも例がある。もっとも、戦争の度に大量絶滅兵器は、戦争に関わる科学者たちの「脳」によって作り出されていますが。それも皮肉ですね。僕などが述べるまでもないでしょう。

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