蜀を得た玄徳にとって本拠地同様に重要なのが、荊州の地だった。ここを最も信頼する義弟・関羽に守らせていた。
魏の曹操にとって、荊州が蜀の地であることは目の上のたんこぶでしかない。兵を差し向けるものの、関羽の勇猛さの前には敵わない。
攻めあぐんだ曹操は、荊州を前から欲している呉の孫権を焚き付けて派兵を促す。長年の願いであった荊州強奪のため、呉は動き出す。
力攻めだけでは荊州は手に入らない。呉の将・呂蒙は計略をもって関羽たちを追い詰める。やがて荊州は落ち、関羽にも最期の時が訪れる。
関羽の死から間もなく、彼の武勇を愛で愛した曹操も病床に付き嫡男・曹丕に後事を託して息を引き取る。希代の梟雄の最期だった。
関羽の死を嘆き悲しんだ玄徳は、呉への恨みを募らせ復讐の機会を待っていた。いよいよ、関羽の追悼戦を始めようとした直前、もう一人の義弟・張飛も非業の最期を遂げる。
張飛の死は、玄徳の呉への敵愾心を更に煽り立てる役にしか立たなかった。
呉と戦うのは、魏に漁夫の利を得さしめるだけでしかない。軍師・諸葛孔明の忠言も聞き入れず、玄徳は蜀帝として自ら大軍を率いて呉を目指す。
対呉戦は、復讐に燃える蜀軍が連戦連勝し呉の命運は尽きていくかに見えた。だが、隠れた偉才陸遜が全権を握ったことで蜀軍の快進撃にも翳りが見えてくる。
そして陸遜の乾坤一擲の大戦略の前に、蜀軍は一気に崩壊する。歴史的な大敗にショックを受けた玄徳は、命からがら逃れながらも病に臥せってしまう。
もはや余命幾ばくもないと悟った玄徳は、孔明を枕頭に呼び寄せる。
裸一貫でのし上がった劉備玄徳がいよいよ最期の時を迎え、後を託された孔明が漢王朝を再興するため獅子奮迅の働きをする。
そのために命を縮めていく孔明の姿が、読み手の心に痛々しく突き刺さる。著者吉川英治による、『三国志演義』に魅せられて執筆された我が国における『三国志』の記念碑的古典。
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